なぜ??を考える
結局、本質は常にシンプルなのです
インプットは聞く+読む
アウトプットは書く+話す
なのですよ
子供を育てる際も
僕のように専門学校外部講師脳神経学とかやってて学生を相手にする際も
<言語化>する癖をつけてもらうのは非常に大事
「聞いてる」「読んでる」
というインプットの状態だけでは危険です
実は内容が入力されてなかったり
意味が分かってなかったりします
経験ないですか?
人の講演や授業や勉強会なんかを必死に聞いてたんやけど
「で、どんな内容やったん?(゜.゜)」
と、他者に聞かれた際に
「え~と。(゜゜)なんやったかな」
っての
頭では分かってたつもりが「書く」「話す」になりゃ
全くでてこんって事象ね
これはインプットの癖だけで
アウトプットの癖がついてない可能性が高いです
人はアウトプットした際にはじめて理解していく事が多い
「話してる間にまとまってきた!」
とか
「なんか紙に書いてたら頭にスッと入った!」
とね。
冒頭の言葉に戻りますが
本質は常にシンプルなのよ
さっさとアウトプットせんかい
って話です
例えば僕には可愛い可愛い姪っ子姉妹がいます
その子達との会話でも<言語化>は重んじています
最近、
「ダンスを習いたい♪」と言ってきました
そんな時も
「へ~~いいやんか」とかじゃないのです
<なぜ、そう思ったのか?>
という言語化が大事
「なんとなく」という抽象的なアウトプットは教育の視点ならばアウト。
他人に理解してもらえるように文脈をしっかりして話す癖をつけるのです
別に難しく話をしなさい
って事じゃない
難易度の高い言葉を使えって話でもない
ただ、
他人に具体的な説明で理解してもらえるように
自分の思考をフルで回転させる機会を与えるのです
「ダンスを習いたい♪」
「なんでダンスを習いたいん?」
「クラスメイトのAちゃんがやってて楽しそう!」
「Aちゃんが習ってるからやりたいの?」
「う~~ん。ちが~う。ダンスが楽しそうって感じ」
「ダンスってどんなダンスの事を言ってるん?」
「TWICEみたいなダンスが楽しそう!!」
「そのダンスのどういう所が楽しそうなん?」
「えっとね~。こういうのやねん」と軽く踊り出す・・
まあ留意してないと
詰問みたいになって、関係性が壊れる可能性もあるし(笑)
なんか責められてるような気もしてしまう危険もあるので、
聞き手にはなかなかのlevelが求められるんですが
やり方さえ間違わなければ、非常に大事な行為です
姪っ子の
「ダンス習いたいねん♪」
だけで、そこから「ええやん」ってなってダンススクールに通わせるよりも
何度も何度も思考を重ねて
自分の中に
<なぜ自分はダンスをやりたいのか?>
<なぜダンスなのか?>
<独学では無理なのか?>
<なぜ習う必要があるのか?>
<習うとは、具体的に何を習うのか?>
としっかり文脈をつけていった方がいいのです
ざっくりで進んでしまえば
他人との会話でも
「抽象的すぎて意味不明」
とか
「ざっくりしすぎて何が言いたいか分からん」
とか
「語彙力なさすぎて、何言ってるか分からん」
という残念な結果になりかねません
そうならぬためにも
常に自分には
<なぜ???>をぶつけるのです
決して抽象的な言葉に逃げない
擬音とかは禁止
「ほわ~と。なんとな~く。まあ・・。
詳しくは知らんけど」とかは絶対禁止
ちゃんと最後の最後まで
言葉を咀嚼して噛み砕くのです
精神科の外来相談とかもやってますが
まあ相談は粗雑な事が大半です('◇')
「イライラするんですよ」
「何にイライラするんですか」
「全部!!何もかもうざい」
「具体的に何か1つでも教えてくれますか?」
「う~ん。いや、ほんま全部イライラするんですよ。どれが!とかじゃなくて。まじでむかつくんですよね~」
と、
これでは自分本人が
<いつ、どこの、何の、どの部分を、どれくらい>
イライラするのかが分からないのです
これでは危険です
解決できずに、ただ不安や恐怖が重なっていき
やがて自分を飲み込むのです
言語化ができるか否か?
で、人生が変わると言っても過言ではないのですから
逆に
<いつ、どこの、何の、どの部分を、どれくらい>
イライラするのか?を
全部細かく言語化できる者は
もうとっくに具体的な解決方法へ進んでいるものです( ´∀` )
なんとなく。やからなんとなく解決しない
色々と。やから色々と解決しない
って事です
できるだけ小さい頃から
具体的に嚙み砕いて思考する癖は
精神を安定させるのに必須です