#2『マイジェネレーション』
大学生の頃、アルバイト先の先輩から音楽系の社会人サークルに誘われたことがあった。
大学の軽音楽サークルを一瞬で辞めた僕にとっては、社会人サークルの存在自体が胡散臭かったし、何より誘ってきた先輩がおかめ納豆みたいな顔の女性だったので非常に気分が乗らなかった。
正直社会人サークルに対する胡散臭さは別として、おかめ納豆というイメージが浮かんだ時点で、その誘いに良くない感情を抱いていた。
しかし、ノーと言えないジャポン生まれの僕は、そのサークルの見学に行く約束をしてしまった。
なんて情けないニッポンダンジなのだ。
約束の日、僕の家の近くにサークルの連中が車で迎えに来た。
運転席には、キンタマを4分の1カットにしたような同い年くらいの男がいて、助手席にはおかめ納豆ときた。
僕はそういう暴力的な雰囲気の漂う車の後部座席で、ほとんど気を失いかけていた。
本当なら今頃家で缶ビールを飲みながら、バラエティ番組を見て、ちょいとコイて寝るだけだったのによ。
初めましての4分の1カットキンタマ野郎と上っ面の会話をしながら、車はわりと距離の離れたスタジオへ向かっていくわけだ。
今思い返しても地獄だった。
スタジオに着くと既に数人サークルのメンバーがタバコを吸いながら練習開始の時刻を待っていた。
その中に、盗撮だけが生きがいみたいな顔をした体毛の濃いおっさんがいた。
そいつは僕の顔を見るやいなや、好きな音楽はなんだと質問してきた。
僕はビートルズが好きだと答えた。
するとそいつは、初期の?中期の?後期の?とさらに質問を重ねてきた。
僕は誠実なので、全部の時期のビートルズが好きだと答えた。
すると、えぇ〜後期は辛うじて聴けるけど、初期は無理だわ〜と言ってきた。
僕は、こいつ頭イカれてんのか、と口に出す手前のところでギリギリ我慢して、無理やりはにかんだ。
たぶんその時の自分の表情は見るに堪えないものだっただろう。
冷静さを取り戻すために僕はビジネスライクな感じで、逆にどんな音楽が好きなんですか、と質問をし返した。
すると、そいつはレディオヘッドを崇拝していると答えた。
決してレディオヘッドが悪いわけじゃないけれど、こういう人間こそが文化をダメにする要因だと思った。
ビートルズの初期を批難したくせに、レディオヘッドが最高だなんて、僕にはそんなこと恥ずかしくて言えやしない。
それがもし大学生のセリフだとしたら仕方がない。
誰にだって間違った自己肯定感を信じてる時期があるからな。
ただ目の前にいるのは、正真正銘盗撮だけが生きがいみたいな顔をした体毛の濃いおっさんだ。
さすがに返す言葉が見つからない僕は、所在なく立ち尽くすことしか出来なかった。
そしてスタジオで、そのおっさんがギターボーカルを担当するレディオヘッドの『creep』の演奏を聞かされるハメになった。
小学生の頃の担任の先生が、音楽は耳と目と心で楽しむものだから"聴く"という漢字を使うんだよ、と教えてくれた。
それ以来僕は音楽にまつわる文章を書く時には、"聴く"という漢字を使うように意識している。
しかし、盗撮が生きがいみたいな顔のおっさんが歌うレディオヘッドの『creep』は到底、耳と目と心で楽しむような音楽じゃなかった。
とにかくギターが下手くそ過ぎるし、人を不快にさせるような歌声で聞いていられなかった。
その時僕は選択をする必要があった。
おかめ納豆と4分の1カットキンタマ野郎と盗撮だけが生きがいみたいな顔をした体毛の濃いおっさんと、その他同じような臭いがする連中と共に和気あいあい素敵なサークル活動に励むのか。
それとも、この勧誘を断って正直に生きていける普段の生活に戻るのか。
その時僕の頭の中で急に、ザ・フーの『マイジェネレーション』が流れ始めた。
それと同時に僕はサークルの勧誘を断る決断をした。
こんな連中と一緒にいたら感性が鈍ってつまらない人間になってしまうことくらい簡単に想像できたからな。
結局その1回の見学以来、二度と連中と顔を合わすことは無かった。
あの時僕の頭の中で流れたザ・フーの『マイジェネレーション』は間違いなく生き方を選ぶためのBGMだった。
それ以来、何か選択をする時には決まってそいつが流れ出す。
なぜ4、5年前の出来事を今更こんなふうに書いているのかと言うと、最近妙にザ・フーの『マイジェネレーション』が頭の中で流れるのだ。
当時は珍しいことでもなかったけれど、大学を卒業してからは久しくそんなことは無かった。
それがここ最近かなりの頻度で流れている。
もしかして、僕は今何かとてつもない選択を迫られているのかもしれない。
弦が切れたままのギターだって僕にはそれほど重要なことではないと判っている。
今僕はそれよりももっとやりたいことがあるのだ。
僕はいつだって僕の世代の話しかしちゃいない。
お前の世代の話なんて1ミリも興味ねえわ。
ちなみに、スタジオでレディオヘッドの『creep』の演奏を聞かされた後に、次のライブでギターを弾いてくれとお願いされた。
ジャポン生まれの僕は、いいっすよ!とひと言。
帰り道の車内で僕は、大人になってもこんなふうに音楽で遊べるのって素敵ですね、とまたもやビジネスライクなセリフを口にした。
すると4分の1カットキンタマ野郎に、遊びじゃない、真剣にやっているんだ、そんなこと軽々しく言わない方がいいよ、と説教された。
その時のバックミラー越しに見えた4分の1カットキンタマ野郎が、古谷実の漫画に出てくるキャラクターのような表情だったので、僕は少しだけ彼のことが好きになった。
そして、行きと同じ家の近くまで車で送ってもらい、次回のライブのギターよろしく!と改めて約束を交わし彼らと別れた。
家に帰りしばらくして、バイト先の先輩のおかめ納豆から、今日はありがとう、というラインが来た。
僕はそのラインに返信することなく、メッセージを消した。
それ以来、おかめ納豆とはバイト先で会う機会がないまま、気づいた頃には彼女はバイト先からいなくなっていた。
一方、僕は大学を卒業する最後までそのアルバイトを続けた。
卒業の時にバイト先の社員からお祝いでアベラワーという大好きなウィスキーを頂いた。
そのウィスキーにはおかめ納豆との思い出は1ミリも含まれていなかった。