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#15『AM』

アークティック・モンキーズの『AM』というアルバムがリリースされた当時のことをはっきりと覚えている。
2013年、高校2年生の夏だった。

もともとアークティック・モンキーズの存在自体は認知していて、1st, 2ndアルバムくらいは嗜み程度に聴いていた。

イギリスでは今アクモンとカサビアンが最も人気のあるロックバンド、みたいな話は音楽ニュースサイトでよく目にしていたけれど、正直実感は無かった。

というのも、当時は忌まわしい2000年代終盤から2010年代に突入したばかりの時期。
洋楽・邦楽問わず、ロックバンドが台頭して、若者から指示を集めるような構図がどんどん薄れていった時代だ。
90年代は音楽シーンが熱かったという話は散々少し上の世代から聞かされていた。
悔しさのあまり、その残りカスみたいな2000年代初頭のロックンロールリバイバルを聴いたりもしていたがそれも少し前の時代。
リバティーンズもストロークスも僕が思春期真っ只中の時期にはほとんど活動していなかった。
だから2000年代のバンドと言えど、自分にとってはほとんど過去の音楽シーン、後追いで聴いたに過ぎない存在だった。
思い入れさえもわかない、僕らはまるで空白の時代を生きる報われない世代だったのだ。(いつの時代も若者にとってはそうであるように。)

なにより、"ロックンロールリバイバル"というムーブメント名があるにもかかわらず、規模が小さ過ぎることにうんざりしていた。
近い過去90年代の盛り上がりに比べれば、もはや最後のロックンロールバンドの悪あがきくらいにしか思えないほど短命。
アクモンもカサビアンも大きな括りで言えば、ロックンロールリバイバルの派生だし、尚且つ日本の音楽シーンにそこまでくい込んでくるほどの勢いは無かった。
だから、イギリス国内で若者から支持されていると言われても、日本にはそこまでリアルな熱量が伝わってこないし、今更ロックバンドが人気だなんて嘘っぽいと、疑ってすらいた。

そういう寂しい感覚があったので、2000年代以降のロックシーンを真剣に聴こうという気にはなれなかった。
教室の中でのK-POP人気と邦ロックフェスのお祭り騒ぎだけが、肌で感じられるリアルな時代感で、ロックンロールが好きという本音との乖離を埋めることが出来るのは、独り部屋の中で昔のレコードを聴くことだけだった。

10代の頃は結構悔しかったし、そんなことだけで悩んだりもしていた。
60年代を生きた人にはビートルズやストーンズがいて、70年代を生きた人にはデヴィッド・ボウイやツェッペリン、あるいはパンクムーブメントを生きた人たちもいたし、80年代にはスミスがいて、90年代には言うまでもなくオアシスやニルヴァーナなど数えきれないほどのバンドが溢れていた。

リアルタイムで感じる熱量っていったいどんな感覚なんだろう、僕の生きる2010年代にはいったい何があるというのだろう。

とは言えど、実はあの当時は日本の音楽シーンが意外と面白かった。
中学生の時に、いわゆる日本のプチロックンロールリバイバルみたいな盛り上がりがあったからだ。
ボーディーズや毛皮のマリーズ、オカモトズや黒猫チェルシー、そしてandymori。
丁度あの世代のバンドがメジャーシーンに登場し始めた時期だったので、僕はそっちに夢中になっていて、海外の音楽シーンはあまり注目していなかった。

本当のところはちょっとした諦めだったのかもしれない。
たぶん、もうロックンロールバンドが一世を風靡するような時代はやって来ないし、売れてなくてもいいから少しでもロックっぽいことをやってる身近な日本のバンドを聴いてる方が幾分か楽だったのだ。

まるで洋楽は片手間、日本のそれっぽいバンドを聴いて、満たされたような、満たされないような日常を送っていた。
結局、夜になればローリングストーンズを聴いて、自分の生きる時代を悔やんで、敗北感に責められ涙を流した日もあったような、なかったような。

そして来る2013年。
丁度年明けにボーディーズの『123』というアルバムがリリースされて、夏に大阪城ホール公演が決定して喜んでいたのも束の間、徐々に興味が薄れている自分もいた。
毛皮のマリーズは既に解散していたし、その界隈のバンド自体が結成から10年近く経過しており、次の世代のバンドの登場がどんどん活発になり始めていた。
もちろん長く続ける美学もあると思うけれど、個人的にはロックバンドの寿命は10年、それ以上続くと少なからず気持ちは覚めていしまう。

おまけに新しく登場する邦ロックバンドに関しては何ひとつ心を動かされることが無かった。

丁度国内の音楽フェスティバルの規模がピークに達し始めた時期で、音楽好きのためのイベントと言うよりは、楽しいことが好きな人のためのお祭りみたいな印象だった。
もし音楽作品が一種のアートだとすれば、こんなふうにお祭り騒ぎの中で鳴り響くシーンメイキングになってしまうのはあまりにも悲しいことだ。
結局、60年代の反戦ムーブメントもヒッピーも、学生運動も、音楽フェスティバルだって何も変わりはしない。
目的を持ってる奴なんてほとんどいなくて、本質的な文脈は無視され、音楽はBGMに、正義の暴力は娯楽に、そして楽しければなんだっていい。

口にはしないけれど、もはや音楽フェスに行ってる奴なんて馬鹿しかいないんじゃないかな、なんて当時は凄く弄れた考えを持っていた。
ミュージシャンも、オーディエンスとの一体感だの、フェスで盛り上げるための曲だの、どうしてそんな基準で音楽を作るのだろうと不信感を持っていた、当時はね。

フェスだと大勢を集客できるのに、ワンマンライブになれば1000人も集客できない現実。

ディッキーズのパンツを履いたボブヘアーの女の子は、フェスのために予習しないと、なんて決まり文句を口にして、出演バンドの定番曲だけを聴いている。
おまけによく分からないステップを刻んで、見ているこっちが恥ずかしくてたまらない。
そういう連中に限ってアングラな態度でメインストリームの音楽を非難したりするけど、どちらもさして変わらない。
シーンをメイキングできるなら、ロックだろうがクラブミュージックだろうが、なんでも楽しめる器量のよさを持ち合わせているんだから。
結局彼女は、今は音楽に興味が無いなんて自慢げに話して、かつてはフェスに行っていた思い出を回顧的に話すことだけが生きがいみたいな人生を送っている。
音楽を利用して自分は他人よりも幾分か成熟した人間だと口にしたいだけどのおまんこ野郎なんだ。

こんなふうに10代の僕はおへそが曲がりっぱなし。
何もかもがつまらなくて、日本の音楽シーンに対しての興味もなくなってしまった。
故に、個人的な興味がまた海外の音楽に向かい始めた。

そして夏、アークティック・モンキーズの『AM』がリリースされた。

特に必死になって聴いていたバンドではないけれど、メディア、あるいは音楽好きの友達の間では、凄いアルバムがリリースされるらしい、という噂が発売前に飛び交っていた。
もちろん、初めて『Favorite Worst Nightmare』というアルバムを聴いた時は、かなりオルタナティブな音楽という印象だったし、癖になってわりと何度もリピートした記憶がある。
ただ、その当時の映像を見るとボーカルのアレックスターナーの容姿はほとんど子供で、カリスマっぽいオーラも感じられず、自分の中ではB級音楽のプレイリストの1部くらいにしか考えていなかった。
だからその後のアルバムを追って聴くこともなかった。

しかし、今度のアルバムは何かが違うと音楽好きたちが騒ぎ立てている、僕も少し興味が湧いてきた。
そして久しぶりに彼らのビジュアル写真を見れば、かつての印象とはかけ離れたルックスになっていた。
アレックスターナーは成熟し色気のある顔つきで、おまけにリーゼント。
僕が海外の音楽シーンをリアルタイムで追っかけていない間に、何か大きな変化が起こっていた。
悔しい、こんなにかっこいいルックスのバンドが凄いアルバムをリリースすると噂されている、これは何がなんでも聴かなくてはいけない。

そして僕は『AM』をプレーヤーで再生した。

それは僕が生きてきた10数年間で1番の衝撃だった。

60年代っぽいとかリバイバルの感覚ではなく、イギリスっぽいとかで説明出来るジャンルの話でもなく、ただ新しい音楽が今自分のプレーヤーから流れているという不思議な体験だった。

例えばそこにオーディエンスの姿が想像できるかと言われれば不可能、どこかに接続されている感覚はなく、ただ1枚のアルバムの中に意識も意味も意図も完結されている、まさに作品としての音楽。
どれか1曲だけを抜粋することなんて到底不可能で、アルバム単位としての塊で魅了されるコンセプチュアルな世界観。

全く新しいのに久しぶりに味わうような懐かしい感動。

緊張感がある、本当に素晴らしい音楽作品には"いい曲"という単純な要素ではなく、恐ろしいくらいの緊張感だけがある。
その緊迫した雰囲気が一気に破裂して、やがてほとんど絶望的な興奮がやって来る。
気づいた時には12曲全てが終わっていて、後に残るのは、言葉も感想も浮かばないような無の時間だけ。
しばらくは咀嚼しようと努力して、全く理解出来ず、また1曲目から再生して、それを繰り返しているうちに、言語化する前に体が理解する、この『AM』というアルバムがとてつもなく凄い作品だということを。

僕は興奮のあまり父親に聴かせた。
すると、良さがわからないと言う。
ブランキージェットシティのベンジーもアクモンの良さが分からないと話していた。
そう、不思議なことに年配の世代には『AM』が通用しないのだ。
だけど同世代の音楽好きの間では、とんでもないアルバムだという共通認識で鼻息を荒くして話し合っていた。

僕はこのことが嬉しくてたまらなかった。
上の世代には理解できない、僕達の世代だけが理解出来る新しい音楽、ようやくそんな名盤の熱量をリアルタイムで感じることが出来たのだ。

もちろんビートルズの『サージェントペバーズ』やニルヴァーナの『ネヴァーマインド』のように全世界で一世を風靡するようなアルバムにはならなかった。

だけど確かに2013年に『AM』は僕達の世代を救った。
あの、過去には凄いバンドや名盤があって、僕達の世代には何も無いという陰鬱とした日常の繰り返し、アートやエンターテインメントにおけるアイデアは出し尽くされ、新しいものが生まれる余地はないという敗北感。
少なからず諦めを受け入れている自分もいたが、『AM』と出会った瞬間に全てが覆った。

おっさんは言う、俺たちの時代にはクラッシュやスミスがいたし、ストーンズの初来日も観にいったけど、君たちの時代には何も無くて可哀想だね、と。

何を言ってるんだ、俺たちの世代にはアークティック・モンキーズがいるさ。
え、全く良さが分からないって?
それはお前が老いたってことだろう、可哀想に。

あれから7年が過ぎて、今は当時と全く違う音楽シーンが盛り上がっている。
また退屈に戻ったかと聞かれれば、そうでもないと答えられるくらいには面白い時代だ。
だってビリーアイリッシュがいるんだから。
彼女の音楽を初めて聴いた時、何となく『AM』がリリースされた当時と似た感覚になった。

新しいものが生まれる余地がないなんて、まるっきりのデタラメだ。
どれだけ時代が変わっても、その世代だけが夢中になる凄いアーティストが現れるんだから。

僕らにとってのアークティック・モンキーズみたいなアーティストがね。

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