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#14『とりあえずの繰り返し』

癌が治る病気になったからどうとか、宇宙の果てに行けたらとか、光を追い越しても、神様がいたとしても、金があっても、そんなことはもうどうでもいいのだ。

太宰治は言っていた。
あの山の頂上に登れば美しい景色が見える、誰もがそうやって僕を勇気づけようとする。
だけど、今この瞬間の腹痛をどう対処するかは誰も教えてくれない。
ただあの頂上の美しい景色の話ばかりをする。

美しい景色、まるで自己啓発本だ、そんな言葉は聞き飽きた、理解できそうな気もするが、結局独りになった時に何ひとつ理解できていないことに気づく。

未来は変えられないかもしれないが、嫌な過去は変えられる、その時が来れば笑い話にできる、まるでアメリカ映画。
今この瞬間を疎かにして、手触りのない未来に頼って、時とともに折り合いを付けることが器量のある生き方なのか。

1度経験すれば、電車の乗り換えや目的地に1番近い出口は直ぐに覚えられる。
だけど、愛や幸せは何度間違え傷ついても覚えていられない、すぐ忘れてしまう。

僕らは科学の進歩への期待を肥大化し過ぎている。
日常はまるで、複雑に入り組んだリアス式海岸みたいだ。
君を好きな理由だってきっと科学の力で証明出来る。
だけど、どこの海岸に辿り着いたかは分かりもしない、ひとつ隣の入江だったとしてもそれが真実のように振る舞う術だって僕らは知っている。

それならば、なぜ悩むのだろうか。
大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返して、他人から尋ねられれば、大丈夫なわけないだろうと、まるで気狂いのように取り乱す。

とりあえずビールを頼むような感覚で日常は堕落していく。
例えば秒読みで今から何かをしなければいけないと強いられて、僕はいったい何を成し遂げることができるだろうか。
誤魔化さなくてはいけない、10秒が9秒に変わる瞬間にはいくつもの言い訳を考えて、5秒が4秒に変わる時には1度諦めたりもする、そして最後のカウントと同時に、守れない約束をするんだ。
それは他人に対する嘘にならない嘘なんだけど、自分にとっては歯痒い、まるで背伸びで知恵の輪を解くような焦れったさと苛立ち。
そして全ては後悔に変わっていく。

こんなふうに何かぽっかりとした虚無を感じるのは若い証拠だと思っていた。
だけど歳を重ねる度にそれは徐々に輪郭を持って人を襲ってくる。
それが幻、あるいは自分自身だということはとっくの昔に気づいている。
だけど自分が所有する体の中に閉じ込めている自分っぽさではなくて、まるで出会うはずのない他人のような表情で僕に付きまとうから厄介だ。

切り離せない、指輪ひとつ身につけても、髪型や服装を変えても、変えられない自分が常にいる、どこまでも自分がまとわりつく。
我を忘れて遊び呆ける海岸で、ふと我に返った瞬間にベタベタと体にまとわりつく潮風に気づくような感覚。
楽しい時間に限って気づかせられる。
何か足りない気持ちを持ったまま友達と楽しむのは難しいから、無理して我を忘れようとしている。
だけど誤魔化せない、誤魔化そうとしても直ぐに気づいてしまう嫌な性格の奴がいる、ああ、それは自分だ。

きっと学生時代からそいつは付きまとっていた、学生服の中に、下駄箱の中に。
特別僕のそれらに仕込まれた訳でもない、みんな同じ、ありふれたものだ、国道沿いの人混みにも、家の近くの公園にも、校区外でも、海の向こう側の知らない国にだってきっとそれはある。
隠している、爆発しそうな絶望を、溢れだしそうな欲望を、法律では手の届かない場所、とても単純なところでほくそ笑んでいる。

先生は嘘を真面目な顔で話している、クラスメイトは嘘を何となく信じている、それは優しさだ、生きていくための賢さだ。
だけど切り離せない、平等という名のナイフが僕らの自由を切り裂いていく。
僕にとっては平たくない、くぼみだらけ、邪魔にならないように努力している、なのに掘り起こそうとする奴がいる、それも自分自身なんだ。

初恋の人の家のベッドの上、夕方の教育番組を見て錯乱しそうな気持ちになっていた。
まるで永遠だ、されど悲しいくらいの一瞬だ。
キスの感触よりも唇の乾きの方が気になっている、それをなくなく我慢している。
失われていく馴れ合いに縋って、またウィスキーを飲む、あと1杯だけ、そしたらちゃんと言葉にできると思うから。
いっそこのまま眠ってしまおうか、それを邪魔する奴がいる、後悔なのか、期待なのか、いずれにしても自己嫌悪だ。

不幸になれば傷つけて来る奴の顔を睨みつける、幸せになれば、自分が誰かを傷つけていることを知って不安材料に変わる。

歩道橋の下では東南系のアジア人が、僕のよく知らない楽器を鳴らして道行く人の正確な流れに逆らおうとするが誰も聴いていない。
ひとつ隣の通りでは自分が作ったわけでもない曲を歌ういやらしい声が、道行く人の流れに沿ってなびいている。
ある時はお気に入りのレコード片手に通り過ぎて、ある時は行きたくもない酒の席に向かう途中に通り過ぎて、ある時は君に会うためにドキドキしながら通り過ぎた。

それらは全て敗北だ、心のない優しさだ。
自分が自分でないということを証明するために抗った故の敗北なのだ。
上手くはいかないおべんちゃらと、必要以上に触るお手拭きと、鼻をかく癖と、トイレの鏡越しに見る自分の顔。
あと一杯、それからもう一杯、我を忘れるために、まだ足りない、まだもう少しだけ足りない。

必要以上に人生を難しくするもの。
人前で話す時には足が震え、箸を持てば手が震え、大事な時こそ何も言えなくて、しらふであってもよろけてばかり。

それでもいい人間に見られたいと思う。
愚痴はそれほどこぼさない、怒り方だって分からない、泣きたい時には泣けばいいと言われてもその方法を知らない。
その実空っぽだ、それが虚無ならば恥ずかしい。
酔っ払って喋りすぎた日や、お気に入りのレコードを自慢げに話した日も、恥ずかしい。
ボイスレコーダーで僕を監視すればいいじゃないか。
もっと恥ずかしい気持ちにさせて欲しい、曖昧な不幸で納得させようなんて僕は許せない。
全てが正しかったと言ってくれれば頼もしいが、全てが間違っていたと言われても救われる。
0か100、そのどちらかじゃないと納得できないのだ。
ギリギリセーフは結局セーフで、ギリギリアウトは結局アウト、曖昧にして丁度いい場所を探すくらいなら、居心地の悪い最果てで破滅していたい。

全てのものが自分のものになることなんてありえないということを知った上で、目が眩むほど途方もない場所に放り出されたい。
郊外にある商業施設でも、ルーブル美術館でも、まだ聴いたことがない音楽が溢れるレコード屋さんでも、一生かかっても読み切れない量を扱う本屋さんでも、膨大な意味の流れの中で迷子になりたい。

こっそり泣いて、照れ笑いして、平気なフリとお喋りもそれなりに慣れて、たまに見抜かれたりもする。
隠したいことばかりが見抜かれて、伝えたいことは冗談のように捉えられて、これが自分の生きる意味だって豪語していたものがバラバラに砕けて、また1から組み立ててる途中に、結局望んでた人生ってなんだったっけと、途方に暮れる。
もう元には戻らない、1度壊れたものは元通りには戻らない。

どれも全部が本心だって言えなくなったろう。
そろばんが弾かれるように、何度も本音が繰り上げられたり、切り捨てられたり。
君の精神に馬乗りになっても、それを俯瞰的に見ている自分がそこにいて、まるで尾を噛み付かれたトカゲのように抜け出せない、日常から抜け出せない。
そうして、他人事のような本音で叫んでいる、誰か助けてくれよ、誰か僕に気づいておくれ。
恥ずかしい、もう放っておいてくれ、僕を独りにしてくれ。
こんなふうにすれ違う感情をごった煮にして、まるで食えたもんじゃないけれど、ありったけの後悔を与えて欲しい、曖昧にしないではっきりと後悔させて欲しい。

どうか君のガラクタを僕の心のど真ん中に置かせてもらえないだろうか。
きっと明日には後悔するから、そのためのガラクタなんだ。
目の下の隈を愛している、きっといつまでも残りはしない、残らないもの、残せなかったから愛おしい。
見つけづらいものを探している。

今度飲もうね、とりあえずの繰り返し。
それなりとたぶん、とりあえずの繰り返し。

その虚無と上手く付き合う方法を探している。
ダメならダメだと、ちゃんと言葉にして説明して欲しい。

とりあえずの繰り返しなんて、もうまっぴらだ。

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