いざ、インド
「君は20年後、やった事よりも、やらなかった事に後悔するだろう。」
私が退職する際に、当時の職場の先輩から贈られた言葉だ。
『トムソーヤーの冒険』の作者マーク・トウェインの言葉を要約したものだと知ったのはその3年後、私がインドへ旅立ってからだった。
「後悔しない」生き方ができない
20代後半、すでに私の人生は後悔でいっぱいだった。高校から大学にかけて5年付き合った彼氏をひきづり、「あのときあんな事を言わなければよかった。」、仕事で疲れ切って友人との約束でドタキャンを連発し友人が離れていったことに気づき、「あのとき約束を守ればよかった。」深夜まで海外ドラマにのめり込み翌朝寝坊し、「あのとき観終わったあとに主人公のプロフィールを検索しなければよかった。」などなど。
「あのとき~しなければよかった。」の繰り返しだった。
今思えば、「あのとき」だけではなく、それより前から後悔しなければならない行いが私にはあったのだと思う。
付き合いが長くなってきた彼氏には、「何を言っても理解してくれるから大丈夫。」、友人は私をよく知ってくれているからドタキャンしても「そういう人と許してくれる。」、20代は睡眠時間が短くても大丈夫。といった風に、よく言えば楽観的、悪く言えば自己中で傲慢だった。(いや、今でもかもしれない。。。)
恐らく、このままではいけないと当時の職場が気づかせてくれたのかもしれない。
だから私は、教員をやめた。
「努力する」は才能か?
教員を辞め、アパレル販売員として働きはじめた。元々アパレル業界への憧れがあったことと、何より様々な人と関われることで、社会勉強になると思ったからだ。
思惑は的中した。勤務したブランドの層が幅広いということもあり、本当に様々な人(お客様)ばかりだった。
・学生
・カップル
・ラウンジのホステスさん
・社長夫人
・海外のツアー客の方々 などなど
特に下から2つの層は、特に接客をせずとも金額を気にせず購入してくれるので、来店したときは売上爆上げのチャンスだった。売れれば楽しい。
それでも、達成感があったのは「この人にはこっちのデザインのほうがに似合いそうだな・・・」なんて色々と考え、提案し1時間以上も接客し購入してくださったお客様のときだ。とてもセロトニンが出ていたと思う。
そして初めて2つのことに気づいた(学んだ)。
ひとつは、社会人とは凄い!!
そして、もうひとつは・・・
自分は恥ずかしい。だった。
社会に出てから数年が経っていたのに、私は仕事に真剣に向き合っていなかった(向き合っているフリをしていた)。達成感とは、頑張らないと得られないものだったのだ。
私には「努力する」才能が欠けていた。
「ステップアップ」したい願望
努力する才能が欠けていることに気づき落ち込んだが、それよりも好奇心のほうが上回った。「好奇心が強い」これが自分の才能だ!!と思ったようだ。
ただの飽き性な様にも思えたが、持ち前の楽観的思考でそれを覆した。
実は教員になることが長年の夢だった。それをあっさり辞め違う業界を経験したことで、もっと多くの経験を積みたいという願望が抑えきれなくなっていた。そしてこれまでの経験から、後悔することを少しでも減らしていきたいと思うようになったのだ。
そう思う前に、販売の仕事で上司に怒られ感傷に浸るために、あのマーク・トウェインの手紙を読み返していたからだが・・・。
やっぱり自分は恥ずかしい。
ようやく本題へ
前置きが長く申し訳ない。
そろそろインドへの「一歩」を踏み出していく。
なんだかんだと自問し、経験し、学んでいこうとしていたとき、インドでの現地採用求人を発見した。アパレル販売員のランチタイムのときだった。スマホが普及し求人探しも便利になってきた時期だった。
検索のヒントは【海外、教員、教員免許】あたりだったかと思う。
そう、結局は教員に戻りたかった。
ただし海外で。
海外ドラマの影響を受けすぎてせいだ。やっぱりまだまだ自分は恥ずかしい。
「インド」への憧れ
大学の卒論のテーマは仏教だった。日本の中世の仏教に焦点をあてていたのだが、調べているうちに、結局はブッダに辿り着いた。ブッダになりたいとすら思った。どうすればなれるのか・・・真剣に考えていた。だからインドに興味を持った(軽すぎる・・・)。
しかも、アジアン雑貨が好きだ。カラフルな衣服、どこか懐かしく愛らしさを感じる小物たち。
そんな物たちに囲まれた生活が待っている(ブッダはどうした)!!!
と、思っていたのはインドの空港に到着するまでの一時だけだった。
インド空港は、無機質なコンクリートでとてつもなくシンプルな建築物だった。皆さんは、インドと聞くと何が思い浮かぶだろう?
カレー、サリー、ガンジス川、猿〇石・・・
世界をヒッチハイクで廻った芸人はこう言っていた。「インドに行って人生観が変わったという人は、もともと大した人生を送っていない。」
自分の人生これまでの生き方が、”大したもの”では無かったのかどうか、知りたかった。
だからこそ、採用の話をいただいたときに、インド行きを即決した。(寒いのが苦手なので、暖かいところに行きたいという願望もあった)
ようやく一歩、踏み出したのだ。
13憶人の「1%」
インドに赴任する前年、首都デリーでは歴史的な凶悪事件が起こっていた。Netflixでドラマ化された『デリー凶悪事件』のモデルとなった集団レイプだ。
私が赴任した地はデリーではないが、この事件をきっかけにインドで働くことを夢見ていた日本の若者たちの、採用辞退が少なからずあった。だから事件を知らない私は、採用された。
私は、ヒッチハイクで世界中を廻ったことはないし、SNSで自慢できるほど多くの国へ旅行へ行ったこともない。それでも、当時この事件が「インド」という国のイメージを決定づける大きな要因になっていたことは、とてもよく分かった。
現地の学校へ赴任し、職員室には現地の方が事務員として共に働いていた。とても陽気で繊細で優しく頼れる男性だった。彼はこんあことを言っていた。「確かにインドは犯罪が多いと思われるけど、悪いことをする人は全人口の1%ぐらいだよ。」
その言葉は案外しっくりきた。
実際にインドへ行き、生活し、現地の人々と関わっていくと、悪いどころか、いい人のばかりだった(運がよかっただけかもしれないが・・・)。
善悪の判断は、私個人の基準だが、日本にいた頃には感じられないじんわりとくる温かい感情がそこにはあった。
もちろん、多くのブログでも紹介されているように、大変で煩わしいことも多かった。ただそれは、文化が違えば当たり前のことであると思う。
例えば、日本にいるとだいたいことに「すみません。」と言う。
事務員の男性はこう言った。「生きていると誰でも迷惑をかける。だから”ごめん”より”ありがとう”をたくさん言う。」
思わず「ワァオ!!!」と言ってしまった。
犯罪は、どの国でも起こる。
一歩踏み出した先に・・・
現地での仕事は、すべてひっくるめて本当にいい経験となった。改めて教員という職のやりがいに気づけたからだ。
ただ、帰国から数年たった今でもインドに「帰りたい」と思う気持ちは、仕事以外の別の部分に魅力を感じたからだと思う。
人生観が変わったかどうかは分からない。そもそも人生観などあったかどうかも。それでも、「後悔することは悪いことではない」と思えるようになった。それはやっぱり、日本では大した人生を送っていなかったということになるだろう。
誰からも嫌われないようにいい人ぶったり、仕事ができると思われたくてそつなくこなすことを覚えたり、面倒なことに巻き込まれたくないから身近の人のいざこざですら見て見ぬふりをしたり、にも関わらず自分に面倒なことが起こると逃げたりと・・・
どんな人生が「大した人生」なのかは人それぞれで、私自身も分かっていない。
ただ、一歩踏み出した先にみえたものは、後悔しないように生きていこうとしていたら気付けないものだった。
後悔しない生き方、失敗しない人生、SNSで「いいね」がたくさんもらえる生活、今でも憧れる。それでもそれが大事なことだとは思わなくなった。
後悔することがあったからこそ、自分が大事にしたいと思える人や環境が分かった。それはきっと、自分の手の届く範囲の人生しか送っていなければ分からなかったと思う。
自分の暗部を覆い隠す生き方ではなく、周囲を光で照らす生き方をしていきたい。
そして、まだこれからの一歩が楽しみだ。