座禅合宿へ行ってきた話
香林院との出会い
2019年7月、失恋のショックから立ち直れず、私は幸福になりたくて必死だった。
”幸福”をテーマにあらゆる本という本を読み漁り、ネットの情報を漁り、座禅が良いらしい、しかも広尾に、毎朝やっているお寺があるらしい、と知った。
早速通い始めることにした。
初めての座禅を終えたその日のうちに、職場で効果を実感した。いつもならイライラするであろう局面で、落ち着いたまま解決策を考案できている自分に気づき、驚いたのだ。
これは、続けるべきだ....
そう思った。
通い始めてひと月ほど経った3連休の月曜日。いつものように座禅会に参加し、その後の予定も特になく、もたつく足取りで帰路に就こうとしているところでお坊さんから声がかった。
「スイカあるので食べませんか。」
その日私は初めて、お寺の中に団らんするお部屋があることを知った。どうやらみんな、座禅後ここへきてお茶を飲みながら談話するらしい。こんなコミュニティーがあったのか...!
いただいたスイカは、とても甘くておいしかった。
スイカの日以来、私はちょくちょくその団らんの席へ顔を出すようになった。
次第に、それが楽しみで座禅へ通うようになった。
座禅合宿!?
9月のある日、いつものように座禅を終えてお茶をいただいていると、和尚さんと男性の方が座禅合宿なるものについて話していた。
「今年もやるんですか。」「ええ、今年は河口湖です。」
そういえばそんなチラシを入り口で目にしたが、きっとこれは熟達者のためのすごく厳しい修行のようなやつで、きっと雪山を素手で登ったりするようなやつで、私には到底、関係ない、と思っていた。
が、話を聞くとそうでもなさそう、なんだか楽しそうである。。
和尚さんが「来る?」とすごくカジュアルにきいてくる。
...即座に出席を決めてしまった。
いざ河口湖へ!
10月5日土曜日朝9時、香林院集合。
私は寝坊して5分遅れで待ち合わせに到着した。
合宿が楽しみで、前日よく眠れなかったのだ。小学生みたい。
車2台に分かれていざ出発。
メイミさんが作ってくれたかわいいしおりが配られる。ふむふむ、イベントがたくさんあるな。
車中では彼女の一歳の息子さんのカンちゃんが定期的にうしろを振り向き、車中のメンバーひとりひとりに笑顔をふりまいてくれた。すばらしいコミュニケーション能力である。私も見習いたい。
道が渋滞し、少々遅れて河口湖湖畔に到着。
ランチ後、最初のプログラムは黄金の七福神巡り。
湖畔のきれいな空気を吸いながら七つの神様をお参りしてスタンプを集める。
その後、宿について和尚さんのご高話を聞く。
まずは先ほど巡ってきた七福神のお話。
七福神とは、インド・中国・日本のかみさまを7人寄せ集めたもの、7という数字は”完全”を意味する。
恵比寿さまは障がいをもった子が舟で運ばれて来たところを、神と思われて祀られたのが起源、というエピソードが心に残った。つまり昔は障がいを持った子供を皆で守り合って育てる風土があったのだそう。今よりやさしい世界だ。その時代に戻りたい。
つづいて座禅のやり方について。
座禅のときのポーズ、結跏趺坐には特に深い意味はなく、お釈迦様が悟りを開いたときに取っていたポーズのため、そのまま受け継がれた、とのこと。
ポーズよりも呼吸のほうが重要なのだそうだ。
座り方は、座布団の上にもう一枚、二つに折った座布団を敷き、そこへ腰をおろし脚を組む。できれば両足を膝の上に乗せたいが片方でもOK。骨盤を少々前へ倒しお腹を足の上へ乗せるようなイメージで上体を保つ。
瞑想だと目を閉じるが、座禅は薄目を開けたまま、1.5mほど先の床に視線をやる。その際、顔ごと下へ向けてしまわぬよう、後頭部を後ろへひっぱるような感じで頭を起こす。
手は、前で組み、体につけて置く。体につけると、ちょうどおへその下あたり、丹田のところへ手がくる。ここが体の中心だと意識できる。
呼吸は深く行う。深い呼吸というと、吸う方へ意識を寄せがちだが、大事なのは吐くときにしっかり力を抜いて吐き切ることだそう。
うまくいくと頭寒足熱の状態(つまり頭から足へ血流が下り、足元が温かい状態)になり、これがとても健康に良いそうだ。
よく勘違いされがちだが、お坊さんが棒で肩をたたくのは決して体罰などではなく、頭に上った血を下へ落とす、肩回りの血行を良くする、気を引き締める、等の目的がある。
座禅、何度も座禅
ご高話のあとは、教えていただいたコツを踏まえた上で、座禅25分を3回。
心なしか、呼吸が上手くできるようになっていた。こころが徐々に軽く楽になっていく感覚を覚えた。
だんだんと眠気が襲う。3ラウンドめは足の痺れや眠気との闘いになった。頭の中が「いたい」と「ねむい」で充満していた。
その後、温泉を満喫し、豪勢な夕食をいただく。
ここで参加者の皆さんの自己紹介、座禅をはじめたきっかけなどをうかがう。
毎日のリズムを作るために通ってらっしゃる、という方がいた。素敵なライフスタイルだと思った。
食後に、茶道の先生であるヨシコさんがお茶を立ててくださった。一連の手つきが美しく、ついつい見入ってしまう。いただいたお茶とお菓子は、こんなに美味しいものが存在するのか、というほど美味しかった。
さらに、2次会へと、楽しい時間は続く。みんな、酔い方が楽しくて、自由。
次の日も朝早くからプログラムが始まるため11時に床に就いた。
翌朝5時30分。玄関へ集合してみんなで湖畔へ向かって歩く。湖畔にて朝座禅。予定では富士山を見ながら日の出を仰ぐ、はずであったが、生憎の曇り空により太陽も富士山も見えず。
しかしせっかくの機会だからと、湖畔に座りしばらく湖を眺めていた。
気づくと、私は湖の魅力の虜になっていた。
どこへ流れるでもなく小さなさざ波を繰り返しながら、ただ、その場にい続ける。その静かな水面を眺めていると、えも言えぬ安堵感が湧き出てくる。
その時、私はなんとなくわかった気がした。あ、幸せとは、こういうものなのかな、と。
なにか特別なことをしようと、起こそうと、躍起になってもがくのではなく、ただその場にゆらゆらと漂っているものに気づくこと。そんなことの繰り返しが幸福へ繋がるのではないか。
思えば私の心の中は、自分で勝手にこしらえた多数の「こうあるべき」でがんじがらめになっていた。”大人として”、”社会人として”、”女性として”、”日本人として”、”34歳として”、”クリエイターとして”、”会社の一員として”、自分はこうするべき、こうあるべきだ、と勝手に何かのルールに縛り付けて、そのルールにうまく従えない自分に悲しんだりしていた。
しかしそれらはただの妄想だったのではないか。想像上の檻のなかで、勝手に苦しくなっていたのではないか。
穏やかな朝の湖面を眺めながら、心に張り付いたかさぶたが、ぽろっ、ぽろっとひとつづつ、はがれていくのを感じた。それは、とても心地よい感覚だった。
朝食を終えて、再び、最後の座禅、三ラウンド。
今度は、眠気に襲われず三度ともしっかりと集中できた。何事も練習を繰り返すと少し上達するものだ。
出発前のしばしの談話の時間、参加者を見回してしみじみと感じた。年齢も出身も職場も違う大人が十数人、座禅のみを通じて繋がり、同じ時間を楽しむのは、素敵なことだなあ、と。
「ご縁」とは仏教から生じた言葉らしいが、世の中には様々なご縁が存在する。けれども、この集まりほどランダムなご縁はないのではないか。
聞くところによると、和尚さんは香林院の住職になって18年経つが、座禅会を始めたのは和尚さんの心意気によるものだったのだそう。
今回の座禅合宿も、和尚さんの発案で始まったものという。
座禅に通っていなかったら決して出会えなかったであろう素敵な大人達に出会えたこと、日々ご縁が生じる場を提供してくれる香林院に、自然と感謝の気持ちが湧いた。
帰路
宿を出発し、憧れの文豪、太宰治が実際に滞在していたという、天下茶屋で昼食をいただく。名前の通り、天下を見渡せるほどの景色の良さに息をのむ。
帰り道、イッコウさんが運転してくれる車の後ろの席で、ミチヨさんとヨシコさんと一列になって座った。人生の先輩たちとの会話から学ぶことは多く、心地よい時間となった。
自然と今回の旅を総括するような話の流れになり、私は、参加者がみんな良い人ばかりで驚いた、と言った。その時のヨシコさんの返答が忘れられない。
「良い人っていうか、良いところが自然とでてくるのよね、こういう(座禅をする)環境にいると。人ってみんな完璧じゃないから、良い面も悪い面もあると思うの。でも、悪い面に出くわしたときに、”この人はこういう人”とレッテル張っちゃうと、それっきりになっちゃうわよね。”良い人”、”悪い人”、じゃなくて、その時々で良い面、悪い面がでているんだってとらえたら、いろんな人のことを悪いところも含めて受け入れられるようになるわよ。」
これは。。。
私が長年、人付き合いで抱えていた悩みを、たった一言で解決してくれた。
そんなふうに、今まで考えたことがなかった。
相手の行動を良い・悪いの指標で判断し、この人はこういう人、と評価する。それがよければ付き合いを続けるし、それが悪ければそこで切る。そんな風にして自尊心を、優越感を、心の平和を、保っているつもりだった。しかし仲良くしてきたはずの友達や恋人と、そんな風にケリをつけるたびに、寂しさが増すだけだった。
私は、ただ人のとらえ方が間違っていたのだ。それだけ。
またひとつ、大きなかさぶたがぽろっととれた音がした。
長い渋滞を経てやっと広尾の香林院へ到着したときには、出発時とはいささか違った心持になっていた。座禅を通して、和尚さんのご高話を通して、また、人生の、座禅の先輩方からいただく言葉を通して、学ぶことがたくさんあった二日間だったとおもう。
このコミュニティーに出会えたことに改めて感謝しつつ、家路についた。
香林院住職、金嶽和尚さん、また、準備をしてくださった参加者の皆様、素敵な経験をさせていただき、ありがとうございました。
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