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ひなたごっこ『みちなる』 の感想。

作・演出/松森モヘー(会場:元映画館)
『みちなる』という演劇の制作過程。作・演出を担当する人物がいなくなってしまったため急遽作品を作らないといけなくなったが脚本は迷走。

日本大学芸術学部在籍中の藤田澪と山本愛友による演劇ユニット。学生劇団の旗揚げだが、旗揚げ公演は演劇界の呪術師松森モヘーが手掛ける。
山本が松森による『せいなる』に参加したことで今回が実現したとのこと。

演劇を描くメタ演劇は松森が得意としている手法であり、今回も得意の作風である。だが、マンネリに陥るどころか、これこそデーモンズ休止期間の松森モヘー最高傑作と言えるのではないだろうか。

『みちなる』という演劇を上演している学生たち。先生に教わりながら演劇を練習する。その作中で奇妙な遊園地やスマホと男の奇妙な関係、この世は演劇であり神たる作者に合わせる女など様々な話が描かれて、やがて現実と虚構が溶け合っていく。
混沌とする話に合わせ、巨大なスクリーンに稽古場で練習する役者の映像が重ねられる。これによって、演技そのものにいくつものレイヤーを重ねて今この場で演技をしている俳優の存在をより混沌とさせる。
何が真実か。

混沌のメタ演劇はいつも通りなんだけど、近年のモヘーと違う部分は爽やかさである。
今回はひなたごっこは学生劇団の旗揚げということもあり、学生が主題の一つとなっておりサイケデリックメタの外側に青春の一季節が描かれる。
今見ている演劇の正体も、10万年後に人類が滅びた世界で唯一の人間として異星で10万年前に公演中止をしてしまった作品を宇宙人の生徒に教える。
このぶっ飛んだ設定にもきちんと郷愁が現れる。
宇宙人の生徒たちも、(宇宙)人生はままならず、あっけなく死んでしまったり思いがけず悠久の命を手に入れてしまったり。
楽しい青春と、その後の難しい人生を描くという手法はドラマにおいては珍しくないが混沌たる世界で使われると切実な感情がより一層浮かび上がってくる。
アコースティック演奏も入り乱れるが、そこで演奏される「さよなら人類」「セシウムと少女」が、よりこの作品の浮世離れした空気感に厚みを加える。この演奏シーンが素晴らしく音源でほしい。たま・知久寿焼ファンにたまらない。歌詞を知っていればより、この作品との深い親和性にしびれる。

呪術師がフレッシュな大学生と出会うことによって作り上げたポップカルチャーとしての演劇。

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