テレビを消してみたらいろんな音が聞こえた。

最近、知らずのうちに、テレビを消してすごしているときがあります。

小さい時からテレビは好きで、父親がテレビを見ながら眠りにつくタイプで、寝なければいけない自分にはうらやましく見えていました。

なので、父の帰りが遅い時とか出張行っている時で母が寝ているときはチャンスで、一人で夜までテレビを見ながらいつも見られないドラマとか、ちょっとお色気が入った昔のバラエティを、気兼ねなく見ていました。

思えば生まれてはじめての背徳感かもしれない。

それだけ憧れの対象で背徳感を感じながらも見たいほど大好きだったテレビが最近時々うるさく感じてしまう。これってどういうことなんだろう?

嫌いになったわけではありませんが、いろんな情報に触れていると、頭が情報疲れしている状態なのか、なんか今日はもういらないなって感覚になります。多分情報でお腹ならぬ頭がいっぱいな状態なのかな?と思いました。

そして、テレビを消すとすごく頭がリラックスしていろんな音が聞こえてきました。

静かな部屋で回る扇風機の「弱」の音、車が通り過ぎる音、電車が駅に着く音、洗濯物を畳む時の布の音、そしてそんな中缶ビールを開ける「例の音」。

例えていうなら音のソノリティが始まったときのような、静寂の中に聞こえる自然音だけの心地よい空間が広がり、「求めていたのはこれかも」と思いました。(共感してくれる人いますかね。笑)

いつも通りの妻との会話も当たり前ですがよく聴こえるし、すごく近くにいる感じがします。

なんかこういうの必要だなぁと思いました。

知らないことが恥を晒すことになったり、損をすることがあるので、情報をインプットしなきゃと必死になっていたけど、最近はそれって本当に全部必要な情報か?って考えています。

世の流れに敏感であることは決して悪いことではないし、私もそのつもりで常に情報には敏感であるようにしてきました。

でも今それを見直す時なのかなぁと思っています。

インプットのつもりでフォローしまくってタイムラインをものすごいスピードで追わないと今日の情報を見切れないSNSのフォローを一気に解除したら本当に自分が欲しい、好きだと思う情報が見られるようになりました

誰かのスキャンダルとか、芸能界の裏話とか、政府の批判とか同じ情報や余分な情報を避けるようにしたら、意外と自分は別のことに興味があることに気が付きました。

そんな風にして、これまで何でもかんでも取り入れることだけに躍起になっていた自分を一旦落ち着けて、自分の興味があることや、世の中で起きていることのポイントだけを抑えるような情報の仕入れ方を意識すると、意外と頭の中がスリムになってスッキリする気がします。

安いからといって買いだめしてると使いきれなくて腐ってしまうので、必要なもの必要な分だけ買って使い切るようにする感じです。

必死に取り入れることからちょっとメディアと距離を置いて静かに過ごすことも必要なのかもしれない。

仮にそれで誰かの話題についていけなくても興味がないんだからいいじゃん。恥をかいたら抑え方が違ったんだから勉強すればいいじゃん。むしろそれでコミュニケーションしながら教わるくらいが自分のスタンスにはあっているのではないかと思います。

そんなインプットすることに対してもう少しマイペースにしてみようかなと思う今日のnoteでした。

お読みいただきありがとうございました!

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