感動って一流も趣味も関係なくて、何を望むのか
ご近所のお友達が、手作りのパンを届けてくださったので、
さっそく、バターをのせて朝からほかほかのトーストをいただきました🍞
トースターに入らないくらい膨らんだ、卵入りのほんのり黄色いパンは、見ているだけでにっこりしていまいます。
ジャムは、今年の甘夏をコンフィチュールにしたものと、昨年庭でとれたハスカップジャム。
コーヒーは、ご近所のご主人が焙煎したもの。
どれも、口に入れたら、いや入れる前から、なんとも言えない幸福感があふれてくる。
たまに、
東京など都市部からいただく高級パンや、外国からきた有名店のパンなど食べるのですが、
「美味しい」感動が何か違うものです。
この違いってなんでしょうね。
この一流のものというのは、絶対的に大多数が認めるものということと、それなりの経験値が込められているということだと思うので、敬意を持って評価されるべきものと思います。
だからこそ、
食べる前から、高額を支払う信用があるのですし、
食べてからも納得したり、満足を得たりできるのだと思います。
ネームバリューを食べる場合もあるでしょう。
すごいものを食べた!という満足感でしょうか。
ファストフードであっても、そこに満足感を与えるネームバリューってすごいことだと思います。
私が、今朝食べたパンも、
お友達がてこねしたパンも、
そんなどこぞの有名店のパンより
心があたたかくなり感動しちゃうのはどうしてかしら。
ほおばる瞬間から、食べ終わるまで、ずっと幸せ感がたまらなく、美味しさでいっぱいの感動を得るのです。
この、一流でもなんでもなくても感動する気持ち。
私に
感性のレベルが低いとか、
専門的知識が無いとか
味覚が甘いとか
情に流されるとか
というのは、認めた上でも
でも、
私個人が感動して、今日一日幸せなスタートができること。
これは、
一流とか趣味とか関係ないんですよね。
感動するということの尊さ。
コンサートもそうですが、
目の前のお客様が、
その演奏から何を感じとって喜ぶのかという点では、
事前の情報はあまり意味がなく、
そこに、何があるのかということなのだと思います。
芸術性やテクニックは、それらの極みを伝承したものだと思うので、きちんと向き合いながらも
結局は、
目の前の方に伝わるものが大事ですよね。
たぶん、丁寧に丁寧にお客様を思って作り上げることが、コンサートでもお客様に伝わるのではないのでしょうか。