若い時は技巧だけでも聴かせられるけどね、長くは続けられないという言葉を再認識した日
久しぶりに、地元の演奏家のコンサートに行った。
久しぶりの一般の演奏に、自分のこれまでの悩みや葛藤の答えを少し見つけることができたような不思議な体験だった。
今回は、音大などで専門的に勉強した方々だけど、仕事をしながら活動しているという方たち。
地方、いや世の中で卒業後も続けるならそうするしかないのですもの。
私もその1人。還暦が見えてきた歳になりました。
ただただ
ずっと続ける気持ちしか無く、
熟年になったときに歳相応の演奏ができるように、勉強し続けてきました。
昨日、若手からベテランまでの4人のサックス演奏を聴いて、
なかなか面白い発見をしました。
最初の方はすごく力があるようで、よく指が回り何曲もこなしている若手です。
でも、
なんだかただ指の運動にしか見えないというか、すごいんだろうなとは思うのだけど、曲が心に入ってこないのです。
次の若手もジャズだけど、それっぽいけど、曲をなでてるというか。
その後のベテランの2人は、
技巧というよりは作品理解がされていて、聴いているこちら側も深呼吸できる感じ。音色も気持ちに乗せていて伝わる演奏でした。
演奏の批評をしたい訳では無く、再認識した自分に驚いたのでした。
若い時から、一流の演奏家がよくレッスンで話してました。
『若い時は指が動くから、それだけで聴かせられるけど、歳とったらそうはいかないよ。
だから、
アダージョのようなゆっくりな曲をしっかり勉強しなさい。』
そう言われて、ずっと取り組んできましたが、
最近、疑問になってきていたのです。
結局、お客様は、派手な曲や技巧的な曲しか喜ばないのではないか?
若い人のフレッシュな演奏しか楽しまないのではないか?
でも、
昨日のコンサートで、答えが見えた気がしました。
しっかり、曲を分析して流れや山場に向かって、音色や響きに音楽をのせて演奏することであり、
どんなに技巧的でも驚くだけで伝わらないし、
長年の経験による音楽性は、やはり
若手には表せないんだなと!
わかっていたのに、どうして忘れちゃったのだろう。
たぶんYouTubeや街ピアノの影響かもしれない。
年齢の焦りかもしれない。
とても大事なことを忘れてました。
そして、
歳をとって演奏することをそんなに気にすることなく、堂々と演奏して良いのだなと改めて学んだコンサートになりました。
たまに、
巷の演奏家のコンサートも聴いて、自分を振り返ること大事ですね。
あまり、天上の演奏家ばかり聴いていたら、自分を否定してしまいたくなります。
自分は自分の演奏を
聴いてくださる目の前の方に、
真摯に届けるってことでよいのですね。
自分のために、
今日はnoteに。