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雨の晴れ間を、こんなにも見たいと思ったことはない。
緊急事態宣言が全国に広がり、不要普及の外出が制限され、街は静かなまま世の中はゴールデンウィークにさしかかろうとしている。
かくいう私も、在宅勤務(テレワーク)の対象として自宅での勤務を行なっているが、どうしてもお客様の所へ出向かねばならない用事などがあったりする。週に3回ほど、仕事の関係で外出をしている。
緊急事態宣言、という言葉に私はいまだ緊急性を見いだせていない。不要不急の外出、という範囲さえよくわからないでいる。
毎日、とりあえず家の中に閉じこもり、たまに近所のスーパーに買い物へ行く。スーパーはいつも通り人が多くて、結局ここで感染するのではないかと思いさえする。私の休日の外出と言えばそんなもので、一番安全で近い外というのが、狭いベランダだけだ。
閉じこもって仕事をして、人に会うこともなく、外の空気を吸うこともない。毎日天気を確認して仕事へ向かっていたのに、今は天気もさほど気にならない。私のように天気を気にすることのなくなった人々が多くなったとしても、毎日天気は変わっていく。春から夏へと季節が変わっていく瞬間を感じることもないままに。
今朝方とった電話の先が雨だった。
電話は、私の親しい友人からのもので、毎日のように繰り返される他愛もない日常の報告だ。私は在宅勤務で直接人と関わることが少なくなって、その電話に救われていると言っても過言ではない。
「こっちは今日は雨です」
「こっちは天気、どうなんだろう……?」
彼からの電話で雨の話しを聞かなければ、きっと私は今日の天候を気にすることもなかった。気にすることもなかっただろうな、という気づきにゾッとした。
外出を控えて家にいることをそれほど苦痛に思う性格ではない。昔から、どちらかといえばインドアな方だったし、新型コロナウィルスが流行する前も休日は家にいることが多かった。
それでも週に5日間、仕事に行くことで私は外と関わっていたのだ。毎日天気を調べて洋服を選んでいた。外のことを自分から調べていた。
インターネットから外の情報は入ってくる。ニュース、Twitter、LINE……そのほかのツールでも、私たちはたくさんの情報を得ることができる。特に、コロナに関しては、情報を得ようとしなくても嫌というほど情報が降ってくる。どれが正しいのかを判断する十分な時間もないほどに塗り重ねられていくそれらに、思考は停止しそうになる。
キャパシティを超えた情報に浸されて、私は天気のことすら忘れていた。
天気など大した問題ではないかもしれない。忘れてしまっていても、不都合はなかったのだから。
それでも、私の中で「天気を気にしない」ということは、外から切り離されることに他ならなかった。
大切な情報はたくさんある。知らなきゃいけないことも、知っておいた方がいいことも、たくさん。
仕事で外に出ていたとき、私は晴れの空が好きだった。それ以上に、雨の晴れ間のきらきらした空気が好きだった。
たったそれだけのことだけれど、天気を忘れた私はこの閉鎖された時間に息をつく瞬間を見失った気がした。