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子宮で生きる
最近、女というものはどういう生き物なのか、よく考える。
ひたすら共感されたいいきもの
子どもを産める体を持っているいきもの
察してほしいいきもの
その日のメイクに少しでも失敗したら気分が下がるいきもの
群れていないとやっていけないいきもの
噂話ばかりするいきもの
正直人にもよるが、女からみた女、というのはこうである。
なんでこんなにもめんどくさいのか。
意味がわからない。
いちいち群れんな、1人でいろよ。
そういう私もクラスにはグループに属して、それなりに仲間には入れてもらえている。
が
なぜ群れるのか。
これは大昔からで、男は狩りに行き、女は子どもを産み育て、家を守るという役割を果たすために近所や親戚の女と集まって過ごしていたから、らしい。
今や家を守る必要はなくなり、アルソックがかけつけてくれるのにも関わらず、群れる習慣だけが残った。
なんて厄介なんだ。
グループ外とは最初から仲良くする気がないのか。
ウチガワの人間とは多少気が合わなくても仲良くするが、ソトガワにいるのはバッサリ切る。
ウチガワからソトガワに追い出される場合もある。
あ、私たちとは合わないから次から来なくて良いよ^_^ という具合だ。
しかし、その一方で、共通の敵がいる場合には、ありえんくらいくらいのスピードで仲良くなる。
それまで他人だと思っていた奴が、瞬き一回の間で肩を組む仲になっているのだ。
そう、女子の決断力は男子のそれとは段違いである。
勿論、同じ勢いで縁を切ることもある。
あそう、女子の中では「縁を切る」というのが男子に比べて多いと思う。
それまでどんなに仲が良くても、「あ、さようなら👋」と言えてしまう。
縁が切れたとしても、その程度の仲だったのなら早めに切れた方が良いとも思ってしまう。
しかし、ずーっとウチガワにいる人もいる。
相手が風邪をひいたら自分ごとのように心配をして、ウチガワの人間を助けるためには自分を犠牲にだってできてしまう。
この力も、女特有だと思う。
他人だけど自分事のように振る舞えるのは、やはり、本能だ。
卵子は精子を受け入れ、受精し、女は胎内に子どもがいることを受け入れ、産み育てる。
これに理由はなく、ただ、そうなっている、という自然の摂理というほかない。
子どもを産むことに、とくに理由はないのだ。
ただ次に遺伝子を渡していく、人類というリレーの一員にすぎない。
平安時代から男は、修験道を行い、自我を捨てることで、他者を自分に取り込もうとした。
しかし、女にその必要はなかった。
その能力は、女がこの世に産み落とされた瞬間には、もう既に備わってるものなのだ。
キリストを産んだマリア様や、アナキンスカイウォーカーを産んだ母親は尚更、凄いと思う。
ある日突然、自分ではない「新しい命」を優先した生活を強いられるのだ。
子どもを産み育てることがそれほど良いものなのか、と疑問に思うことがある。
母親になるということがどういうことかもわからないし、そのことに嫌悪感すら抱く。
が、今のうちに「娘」として生きることを全うしようと思う。