モノクロのやさしさにふれて
くもり 時々 おおつぶの雨。ほの明るいグレーの、不安定な夏空の下、愛知県の中心部から高速道路に乗って、知多半島の常滑市に向かった。
目的地は、「人と風の写真家 abubu」。中盤フィルムカメラでモノクロ写真の撮影を行い、現像や写真のセレクト、額装までまるっと自分でできる「abubu体験」をするためだった。
abubuは川の近くにあって、スタジオの前には大きな木があって、もりもりと茂った草木が風に揺れている。
到着すると、オーナーで写真家のよしあきらさんが出迎えてくれてくれた。大きく手を振って、ぺこりと会釈をしてくれて、これから始まる一日は朗らかだろうとホッとする。
abubu体験に足を運んだきっかけ
オンライン写真部の友人が楽しそうで、この夏やってみたい!と、なかば勢いで申し込んだ「abubu体験」。中盤フィルムカメラで12枚の写真を撮り、それを暗室で自分で現像する。ネガを見ながらお気に入りの写真を選んで、自分の手でプリントして、額装する。朝10時から夕方6時すぎまで、1日がかりのワークショップにはなるけれど、自分の写真を作品にして持ち帰れるのがいいなあと思った。
今回は、私と夫、息子の家族と、息子を可愛がってくれている私のいとこ、4人でabubuを訪ねた。
12枚で写真を撮りきるむずかしさ
撮りたいなと思っていたのは「記念になるような家族3人の写真」「いとこも一緒に写った写真」くらいのざっくりさで、それぞれ何枚とるとか、ポーズとかはあまり考えていなかった。
12枚という数の限りと1日で作品にするためのタイムスケジュール、2歳の息子の機嫌も気になるところ。撮りたいイメージはないのに「うまく撮りたい」という欲だけはあって、シャッターを切るのに勇気がいる。息子はグズるまではなくとも、カメラのフレームにいい感じに収まる時間は短くて、シャッターを押せずに焦りがつのる。
そんな私をよそに、息子と窓のそとを一緒に眺めてカメを探したり、けん玉で遊んでくれたり、のびのびゆらゆらしていた、よしさん。
「撮る方がしんどくならないように。フレームに入ってくるのを待つのがおすすめですよ~」と声をかけてくれる。
6枚目に、息子の背中を見て衝動的にガシャンと切ったシャッターはなんだかおかしくて、自分でシャッターを切ったのに、「えっ」と思った。夫には「なんで今?」と言われ、よしさんはドキッとしたと言う。
でも、それを境に何かが吹っ切れたようで、シャッターを切る気持ちが軽くなった。ま、いっか!と思いきれるようになったというか、楽しくなった。
「abubuで撮る」というのは、体験の醍醐味のひとつだったなあと思う。よしさんに見守られながら、空気を一緒につくってもらいながら撮るということ。家族を撮るには変わりないけど、いつもとは少しちがう感覚。「人と風の写真家」がつくる空気のせいかもしれない。
その後、早めのお昼ごはんを食べて、いざ暗室へ。
ネガに浮かびあがる数時間前のできごと
「これは、カメラの中です」と案内されて暗室にはいる。フィルムカメラの蓋をあけると感光がおきてしまうように、少しの光が部屋に入ればさっき撮ったばかりの写真に影響するということで、カメラの中らしい。なるほど。
フィルムは現像液につけることで光が定着することを教わり、その後は流れに身を任せて20分くらい、現像液とフィルムが入った缶のようなものを振ったり、それを洗ったりを繰り返した。これで、さっき撮った写真が見えるようになるの?と、少し怪訝な気持ちだった。
でも、当たり前に、その数分後にはちゃーんと手元でさっき撮った写真を確認できたのだった。
ネガを下からライトで照らしてもらい、レンズを使いながら拡大して写真を確認していく。「わ、ちゃんと写ってるねぇ」「すごいねぇ」と家族と一緒にわいわいしながら、嬉しくなったり、驚いたり。
たった数時間前に撮った景色なのに、12枚しかないのに、「こんなの撮ってたんだ」という感覚がすでにあって、なんともいえない気持ちにもなった。私、どんな瞬間にシャッター切ったのだろう。
額装する写真を選ぶのは、とても楽しかった。
撮りたかった家族写真と、いとことの写真はすんなり決まった。悩んだ末に、夫婦写真も額装することにした。きっとこの先、二人の写真を撮ることも、飾れるかたちにしようとする機会も、なかなかないだろうから。
そして、もう一枚。息子の後ろ姿、それもピントが少し甘い、衝動でシャッターを切ったあれも選んだ。合計4枚の写真を仕上げる。
自分の手で、見つめた景色を写真にする
いよいよプリントだ。プリントといっても、プリンターで印刷するのではなく、ネガの上から光をあてて特殊な紙に投影し、影絵をつくるように写し出す「手焼き」という方法。
この手焼き機を使うと、約6cm角のネガでみた画が、ぐんと大きくなる。初めてのその瞬間、「わ!写真になった!」と、暗室に入って一番テンションがあがった。(ネガを覗き込んでいるときは、実をいうとかなりふんわりした気持ちだった)
今回は、最終的な額装サイズに合わせて約18cm角くらいの仕上がりで調整をすすめる。
光をあてる時間によって、白黒の濃淡の色が変わる。長くすれば長くなるだけ、濃くなる。時間は0.1秒単位で調整できた。写真全体の印象、特に肌の色の明るさを見ながら何回かテストをして、ちょうどいい白と黒と、その間の色を探った。
そして少しだけトリミング。写真の中の床を基準に定規で何ミリとはかりながら、まっすぐにしていく。のだけど、少し雑なところがある私はどうにも自信がなくて、よしさんにお願いした。
最後はピントの確認。服と肌の境目に照準を合わせて、慎重に、慎重に。
いつもはデスクトップを見てマウスをポチっとしながらやっていることを、自分の手で機材をさわりながら、いつも以上に目をこらして調整したからだろうか。自分が見た景色を「写真にする」ということを、存分に味わえたように思う。
見たときの気持ちに寄り添える、モノクロ写真
手焼きプリントを4枚分。写真ごとに光の加減が少しずつ違うため、照射の時間を調整しながら、1枚1枚、写真にしていく。
abubuに到着して手焼きプリントを始めるまでに4時間半くらいが経過していて、さすがに2歳の息子は限界を迎えていた。家族には出かけてもらい私ひとりで写真を仕上げる。それをするのにだいたい、3時間くらい。
この時間が、とても贅沢だった。よしさんと写真の話をたくさんした。
モノクロで写真を撮る理由、撮影をしたときのセレクトのこだわり、写真を仕事にして写真館を開館した経緯、フィルム選びから作品にするまで一連の流れが写真を撮るということ…….たくさん、話を聞かせてもらった。
全部が興味深かったけど、なかでも印象に残ったのは「モノクロ写真はやさしい」という、よしさんの解釈。
「色という情報がないからこそ、モノクロ写真は見たときの気持ちに寄り添える。人生は、いつも良いとは限らない。落ち込んでいるときに、鮮やかに幸せがよみがえる写真を見たら、僕はひっくり返しちゃうかもしれない。撮ったあと、十年二十年先も、どんなときでも見られるやさしさがモノクロ写真にはあると思う」
色も温度も空気感も、鮮明に残せるほうがいいと思っていた私はハッとした。正直、モノクロってかっこいいけどカラーの方が魅力的だと感じていて、モノクロの良さは分からない、とこれまで思っていた。
でも、よしさんのお話を聞いて、素直に「モノクロ写真、めちゃくちゃいいな」と、がらりと印象が変わった。これまで、表現方法 ー例えば、明暗をはっきり見せるとかー としてモノクロを試すことはあったけど、気持ちを想像できる余白をなんて考えたことあったかな。いや、なかったなあ。
いよいよ作品が完成!家族も喜んで大満足
話をしながらも手を動かし続けて、いよいよ写真が作品に。
壁掛けタイプとブックタイプの2種類があって、どちらも両面テープでペタリとしたら完成する仕様になってるから、すごくありがたかった。家で額装しようとなると、資材を買って、段取りを調べてと、私にとってはハードルの高さがすごいんだもの。
手焼きした写真がいい感じに枠に収まるよう、仮止めをして、本止めをして、あっという間に完成。一つできるたびに、ワーッ!と心の中で歓声をあげた。
「完成、おめでとうございます」とよしさんに言われ、ありがとうございますと応えながら、仕上げた作品を目の前にニヤニヤが止まらない。
ほどなくして、家族が戻ってきた。作品を見るなり「めっちゃいいじゃーん!」とギャルめのいとこは言い、感情がわかりにくいと言われる夫も「いいねぇ」と嬉しそうで、それを見て私もまた喜んだ。
***
写真を見返す時、たいていは撮ったその時のことを思い出すけれど、この日撮った写真を見ていると、未来におもい馳せてしまうことがある。
家族で、こんなにギュッとできるのはいつまでだろう。
夫と、こんな風にいつまでも肩を組んでいられるかな。
息子は、この時みたいに背を向けて、手も目も届かない場所へはなれていくんだろうか。その時、私は(たとえ寂しかったとしても)気持ちよく送り出せるだろうか。送り出せたらいいな。
もちろん、ほかの写真と同じように撮ったときのことも思い出す。今は「息子が自由に走り回っていたね、それもこの時ならではだったね」なんて思い出話をするけれど、数年後はどんな気持ちか想像できない。
ただ、たしかなのは、どんな時に見返しても、この日撮った写真と時間がその時々の自分に寄り添ってくれるということ。それだけで、十分だ。
「abubu体験」から1カ月が過ぎた今も、あの日のことを何度も反芻する。過去、今、未来、どんな時にでも寄り添ってくれる写真が手元にある心強さを、それが日々にもたらしてくれるやさしさを、これからも忘れずにいたい。