思考のスケール
今では考えられないことだが、環境省大臣になるまで小泉進次郎氏の世間での評価は高かった。
もちろん適菜収氏など小泉進次郎氏の実態を見抜いている人はいた。
この事例や民主党が大勝した2009年の国政選挙が示しているように、有権者の中には「後になってからみれば妥当とは言えない選択」を選挙などでしてしまう人も少なくない。
コロナ渦が本格化する前の時期に、私は或る親戚に連れられ、その親戚の知人の家に立ち入るという機会があった。1時間ほどの滞在時間の間、その方は親戚と雑談を繰り広げていた。雑談の中には「その方がかんぽ生命保険の不正販売の被害に遭った」という深刻なトピックも含まれていた。親戚は落ち着いた表情で、その方の話を聴いていた。
私と親戚とその方のいた部屋ではテレビが流されており、自分が部外者であるように感じられていた私はテレビのニュース番組を見ていた。しばらくして、番組は小泉進次郎氏を取り上げ始めた。
すると、その方はテレビの方に視線を向け、こう言ったのだった。「進次郎さんってフレッシュな感じがして良い政治家さんという感じがする。進次郎さんのお父さんの(小泉)純一郎さんも、もう一回くらい総理になってくれないかなあ」と。
「え?」と思い、私は顔をテレビの方向から、その方のいる方向へ向けてしまったが、その方に「あなた正気なんですか?」と詰問する勇気はなかったので、家を出るまで沈黙を保ち続けた。もちろん、別れ際に挨拶の言葉はしておいたが。
かんぽ不正事件と郵政民営化が切っても切り離せない関係であることは多くの報道機関が指摘して久しい。ところが、その方は郵政民営化政策の被害を直に受けているにも拘らず、郵政民営化を推進した小泉純一郎氏を無邪気に支持していたのである。
私はこの方を見て、「この方は、かんぽ不正事件と郵政民営化の関係を知らなかったのではないか」と感じた。
この方は還暦を既に迎えた高齢な女性だったが、人がどれくらいのスケール(規模)で物事を考えているのかによって、その人の言動は変わってくる。
高度経済成長期に定着した労働形態にしても、どれくらいの年月の規模で考えるのかによって、「日本の伝統」ともみなせるし、「一時期メジャーだった労働形態でしかない」ともみなせる。
最後に、もう一つ思考のスケールに関する話をしようと思う。
ネットでこんなことを述べている人がいた。その人は「弱者が淘汰されれば自分の生活は良くなる。だから、生活保護なんて廃止すべきだ。生活保護がないと餓死してしまうような奴らは勝手に死ね」と主張していた。
しかし、その主張は我々一般人が経済の循環のもとで暮らしているということを見落としている。
ある人が店で金銭を払った場合、その代金は店側の所得となる。このように、誰かの消費は誰かの所得となるのだが、今まで普通に仕事をして生活していた人が失業した場合、その分の消費=所得が社会に回らなくなってしまう。このように、経済的貧窮者を見殺しにした場合、長期的には経済も自ずと停滞していってしまう。
国全体というスケールで考えれば、適切な社会保障や福祉制度は経済を発展させ、国家の長期的な繁栄をもたらすのである。
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