自明なことをわざわざ明示しないと抗議が殺到する時代
去年の秋頃、私は仙台駅と宮城球場の間にある建物に入った。その建物ではタバコに関する展示が行われていたが、展示物を入れた透明ケースの端のほうに「本展示ではタバコが取り上げられているが、これはタバコの健康被害を矮小化するものではない」というような但し書きがあった。
「『近代以前や明治・大正・昭和の喫煙の様子を伝える古品』が並んでいるに過ぎない展示に、こういった但し書きって必要なのかな」と疑問に思った。
そして、NHKで零戦に関するニュースが流れるときに必ずといってよいほど登場するフレーズを思いだした。
NHKでは零戦に関する映像がニュース番組などで流れると大抵のケースでアナウンサーが「零戦で多くの方が特攻隊員として犠牲になりました」と言い添えている。
これに関しても「零戦で多くの若者が死んでいったことを知らない人は日本にどれほどいるのか」と感じることがある。
2024年5月上旬現在、東京藝術大学大学美術館では大吉原展が開かれている。大吉原展は3月26日から5月19日までの開催だが、2月上旬に展示内容が詳しく予告され始めると、それらの予告に対してSNSで批判の声があがった。
当初、公式サイトには「エンタメ大好き」や「お江戸吉原はイベント三昧」や「イケてる人は吉原にいた」などといったコピーが載っており、キャッチーな方向性の予告となっていた。吉原で人権を侵害されていた女性たちの苦難を前面に出した予告とはなっておらず、漫画家の瀧波ユカリ氏などが反発の声をあげた。
これらの声を受け、大吉原展の運営サイドは公式サイトに<遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。 展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。>との文言を追加している。
喫煙が人体に悪影響を及ぼすのは事実であり、多くの若者が零戦と共に命を失っていったことも事実であり、吉原で女性たちが性的搾取を受けていたことも事実である。しかし、事実には社会全体で幅広く周知されているものと、殆どの者が知っていないものとがあり、前者のような事実は大多数の者にとって既知の情報や前提知識ということになる。
大学美術館教授の古田亮氏は社会構想大学院大学教授の北島純氏からのインタビューで以下のような意見を提示している。
北島純氏の指摘は鋭い。
無論、世の中には毎年8月に広島や長崎で行われる平和記念式典のように「皆が既に知っていて、そのうえで大々的に述べていかねばならないこと」も存在する。だが、大多数の者にとって既知の情報や前提知識を明示しなかったというだけで、「この展示や放送の企画者・制作者たちは或る事実を伏せようとしている」などと主張するのは妥当ではない場合があると言えるのではないだろうか。
サムネイル画像:図録・グッズ|大吉原展 (daiyoshiwara2024.jp)