染屋と戦争
今日は終戦記念日。
染屋と戦争なんて、全く結びつなかいと思うでしょうが、実はそうでもないのです。
戦時中の話。
当時、桐生の染色工場6社が集められ、職人達は軍旗や軍服の為だけに染色をやることになったのだそうです。その職人達の中に、どうやら私の曽祖父と祖父はいた様なのです。
各社が自分たちで持っていた機材、窯などは全て没収され、兵器に変わってしまったそうです。。
私がこの話を知ったのは、地元の新聞紙「桐生タイムス」の取材を受けた祖父の文章をつい最近工場で発見した事で知りました。
生前、祖父の口からそんな話は父も私も聞いたことは無かったのですが桐生タイムスにしっかりとその事が綴られていたのでした。
今思えば、もっと祖父と染のことについて話しておけば良かったと思う事がよくあるのですが、こうやって時を超えて、過去の地元新聞紙からヒントや歴史を祖父から教えてもらう事がここ数年偶然にも度重なっています。
地元の新聞社には感謝です。取材がなければ知らなかった事も沢山あるのですから。
そして、その戦争の記事はこの様に続きます。
「戦争が終わると各社こぞって自分たちの技術向上に邁進した」と。
祖父は親族から見ても染色技術の探究に熱心な人でした。
こういう戦争の体験がハングリー精神となって、長い事邁進して行けたのかもしれません。
当時の写真や文章はうちの工場には何も残っていませんが、こうした話を聞くと苦境に立たされても前を向いて進み続けた祖先の事を誇らしく思えます。そして、その思いを私は受け継いでいきたいと改めて強く思いました。
今年は夏らしく無い不思議な夏ですが、気がつけばもうお盆の時期ですね。祖父や会ったことの無い曽祖父の事を考えるお盆となりそうです。
写真:曽祖父(山﨑清四郎)
写真:祖父とわたし
暑さが厳しい毎日ですが、皆様お身体お気をつけてお過ごしくださいね。
KIRISEN
平本ゆり
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群馬県桐生市に工房を構える染色工場の4代目女職人。
グラフィックデザイナーとして都内に勤務後、2018年より染色を生かしたブランドを始める。www.kirisen.com instagram: @kiryu_kirisen
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