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小部イティヴッタカを読み始めた [パーリ語で読む仏典]

パーリ語で中部経典を読むのを一旦終了したので、小部経典のイティヴッタカ (Itivuttaka) を読み始めることにしました。

次は中部経典以外の短めの経典がよいかなと思い、増支部を日本語で読んでちょうど良い箇所がないか探していました。その途中で春秋社から原始仏典シリーズの小部経典の刊行(中村元監修 全16巻)が2023年7月から始まり、その第1巻が発売されていることを思い出しました。すでに入手済みでしたので、何か読むのにちょうど良さそうなものは無いかと見てみました。

最初に、非常に短い「子どもの問い (Kumārapañhā)」を読んだ後、イティヴッタカの解説を見てみると、散文と同じ内容が韻文(詩句)で説かれているとあります。

小部経典の第四経。… 散文と詩句の関係は、詩句の由来を散文で述べるのではなく、同じ内容を散文と詩句で重ねて述べている。内容は基本的に教義の解説であり、布施の功徳から究極のニッバーナの境地にいたるまで幅広く、巧みな譬喩を用いて分かりやすく説こうとしている。

原始仏典IV 小部経典 第一巻 (春秋社)
イティヴッタカ 羽矢辰夫
p. 208

「詩句の由来を散文で述べる」というのは、例えばダンマパダの詩句とその由来である因縁物語の関係のことです。

「詩句の由来を散文で述べる」形式のダンマパダの因縁物語についてはすでに一章分を読了していますので、散文と詩句が同じ内容だというイティヴッタカに興味が湧きました。

まずは(主に散文の)パーリ文を読めるようになりたかったので、ダンマパダ、テーラガーター、テーリーガーターのような詩句だけを読みつづけることは避けていたのですが、散文と詩句のバランスが良いのであれば、イティヴッタカは詩句を読む練習にもなりそうです。

イティヴッタカは一つの集編、二つの集編、三つの集編、四つの集編の四編からなり、そのボリュームは日本語訳のページ数からすると中部経典の数経分くらいかなと思っています。

「一法とは何か?」「二法とは何か?」のように増支部との類似も感じられるまとめられ方がされていて興味深いです。

ちなみに、2023/10/10 の時点では一つの集編は読み終わって、二つの集編を少し読み始めたところです。

イティヴッタカ

イティヴッタカは、パーリ経典の始まりの句として有名な "evaṃ me sutaṃ (このように私は聞いた)" ではなく、次のような句から始まるのが特徴となっています。

Vuttañhetaṃ bhagavatā, vuttamarahatāti me sutaṃ

Itivuttaka 1

パーリ文: tipitaka.org

世尊はこういった、阿羅漢はこういった、とわたしは聞いた。

原始仏典IV 小部経典 第一巻 (春秋社)
イティヴッタカ 羽矢辰夫
p. 209

まさに、このことが、世尊によって説かれ、阿羅漢によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。

アラナ精舎 経典ライブラリー
小部経典(クッダカ・ニカーヤ)
4. イティヴッタカ聖典(如是語経)
正田大観
  • vuttañhetaṃ = vuttaṃ-hi-etaṃ

    • vutta: [vuccati の pp.] 言われた, 説かれた

    • hi: adv. conj. 実に, 何となれば, なぜかといえば

    • etaṃ これは n. sg. nom.

  • bhagavatā sg. ins. 世尊によって

    • bhagavant: m. 世尊, 薄伽梵, 仏

  • vuttamarahatāti = vuttaṃ-arahatā-ti

    • arahatā sg. ins. 阿羅漢によって

      • arahant: m. 阿羅漢, 応供

    • iti, ti: ind. 〜と, かく, とて

  • me sutaṃ わたしは聞いた, わたしによって聞かれた

    • me わたしによって

    • suta: a. n. [suṇāti の pp.] 聞ける, 所聞, 聞, 天啓, ヴェーダ, 博聞

パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)
(打ち消し線は、辞書には記載されているが、文章中の意味には当てはまらないと思われる意味を表す。)

参考文献

正田大観氏による現代日本語訳であればオンラインで読むことができますので、原始仏典シリーズと合わせてパーリ文を読む際の参考にしています。

下記の英訳も時々参照しています。

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