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菩薩 vs 恐怖 中部#4 恐怖経 読了

2023/04/27 に 中部#4 恐怖経 Bhayabheravasuttaṃ を読了しました。

とあるバラモンとの会話から、お釈迦様がまだ悟る前の菩薩である時に、恐怖と対峙した話が語られます。ここで語られる恐怖とは、森や林などの遠く離れた坐臥所において生じる不善の恐怖(akusala bhayabherava)のことです。

菩薩は、身の毛もよだつ霊園・霊林・霊木といった坐臥所に赴いて恐怖と対峙し、恐怖を取り除こうとします。菩薩は禅定に入り、三明を証得し解脱したことを語ります。それを聞いたバラモンが仏法僧に帰依して本経は終了します。

バラモンは、お釈迦様のもとで出家した比丘達について、「もろもろの林は禅定(samādhi)を得ていない比丘の心を奪うように思います。」と問いかけます。お釈迦様は、それに対して、「その通りです。」と答えたあと、菩薩であった頃の話を語り始めます。

本経では禅定だけでなく解脱にまで達してしまうのでわからないのですが、不善の恐怖は禅定によって克服できるということなのでしょうか。

どのような沙門であれバラモンであれ、(Aの状態)で、森や山林の遠く離れた坐臥所に親しむならば、(Aの状態)の欠点ゆえに、必ず不善の恐怖を招くことになる。しかし私は、(Aの状態)ではなく(Bの状態)の者である。

片山一良 訳より抽出

その中で上記のフォーマットで、菩薩は自分は「不善の恐怖」を招く状態ではないと考えます。BにはAとは反対の概念が示されるのですが、例えば次のようなものです。

  • (A) 身の行為が浄められていない ⇔ (B) 身の行為が浄められている

  • a-parisuddha-kāya-kammanta ⇔ parisuddha-kāya-kammanta

パーリ語としては、否定や反対の意味を表す接頭辞(a-, an- など)が付与されている単語が多いのですが、中には反対の概念となる単語も使われています。

  • 怒りの心と邪悪な思いをもった ⇔ 慈心のある

  • vyāpanna-citta paduṭṭha-mana-saṅkappa ⇔ metta-citta

    • vyāpanna a. 瞋恚の

    • paduṭṭha-mana-saṅkappa 悪意, 害意, 憎悪の思惟

    • metta a. n. 友情ある, 慈, =mettā

つまり、少なくとも本経では vyāpāda (怒り、瞋恚)の反対(対義語)は mettā (慈, 慈悲)であるということになります。怒りに対しては慈悲の瞑想がよいと聞いたような気がするのですが、こういう所から来ているのでしょうか。

パーリ文: tipitaka.org
片山訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)
パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)

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