
プラタナスの街路
ジャズを聴きながら今日は一人で店番。
古~い「広辞林」と最新のブ厚く重い「広辞苑」を前に置き、あごに手をあて窓の外を眺める。
車が一台、二台、三台、長いスカートの姿の良い女性が一人~。赤い車が一台。
店の前の旗がパタパタとはためく。
オッ茶色い軽(自動車)も一台行った。
夕方の五時半、仕事の帰りが多いのか、が、なかなか人は通らない。
夕方、犬のお散歩の女性が2人、ギャワンとにぎやかに通る。小さい体でいつもケタタマシイ。
ようやく勤め帰りの人もチラホラと。
若かったころはザワザワとにぎやかであった。
お祭りの時も表のお祭りメイン道路から越してきたのか、屋台もたったものだ。
月日は移り、時代も変わる。
長い年月が経った。
時々ものの名前、人の名前、何しにここに来たかと、とみに忘れることが多くなってきた。
今もスマホに用があったのに、スマホという物体の名前をひょいと忘れる。
広辞林、広辞苑をひかないと漢字が出てこなくなった。
母の亡くなった年を越えたもの、当たり前だな。店の前のプラタナスは夏が終わるとすぐ丸太のように枝を切られて、ズングリ立っていたが、五月ころからまた葉が繁るようになった。
葉の上を風が渡り、サワサワと気持ちよさげだ。
夏が終わると、また丸太のように枝を切られてみじめな姿をあらかた八カ月位さらす。
そんなことで芽が出るのかと思えば、時期になると律儀に芽を出し枝を張り、葉をサワサワと鳴らす。
子供等が小さい頃は、枝に虫がぶら下がっていると嫌がったものだ。
背が低くて丸太にしなくても、雪の中でも雪をかぶってシャンと立ってる木でも植えたらと毎年思うが、プラタナスは今年も葉を繁らせる。
プラタナスの気持ちを思えば、人の勝手でイヤイヤここに居ると言っているではないか。
サワサワと切れる木の横を何人か人が家路につくが、あっという間に人の姿がなくなった。
この前を人通りが少なくなったのは、何年前くらいからかなあ。