カップ麺(めん)より袋麺(ふくろめん)、の噺(はなし)、深夜書店、。
カップ麺(めん)より、袋麺(ふくろめん)が好きだった。
歳月経て、それに気づいた。
CD、とレコードみたいなもんか、。
ん?、ちょっとちゃうかな(笑)。
楽曲を聴くのも今のご時世はスマホで充分なのだから、なんにしても微妙な感覚か、。
麺と具材にスープ、の配合や容器を通常は必要としないカップ麺の手軽さにくらべても、袋麺は気持ちに余裕があるときに食べるもんなんだろう。
お湯を注ぐだけでいいカップ麺にくらべたら、断然に手間がかかる。なにも「アレンジレシピ」としてグルメちっくに食べたいわけではない。
袋麺、をけしてご立派なものにしない。
「そうなってしまったら、袋麺を食す、そのうえでの趣旨が失われてしまう」と、いった意見には深くも共感できる。
あくまでもジャンクフードとして、背徳的(はいとくてき)にも食べたくなるもんなのだ。
高級そば屋、より天かす入れ放題の立ち食いそば、駅そばなんかを好む感じかな、。
気取らない心地よさ、。
とはいえ、。
お湯を注ぐだけでOKな手軽なカップ麺とは違う、ひと手間、。
幼少期、初めて鍋をつかって水(袋麺の作り方表示によるとお湯500㎖⁉)よく沸とうさせて、麺をゆでて完成させたときの悦(よろこ)びが懐かしく甦る。
ささやかだが「料理」、をしたかのような誇らしい気分、。
なんとなく、カップ麺より袋麺が寄り添う時代が懐かしい。
若かりし時代、ネギや紅しょうがを一緒に買い物して、恋人とじゃれ合いながらつくって食べた袋麺、。せっかく生にんにく、のチューブを買ったけど、互いにスープに入れるのを拒んでいた。
「一緒に臭くなったら、え~やん、」そう言ってふたりして、にんにくたっぷり、ねぎも山盛りの自家製ら~めんを完成させた。味がどうのこうのじゃなくて、そんな時間が愛おしくて、。
あくまでもジャンクフードとして、背徳的(はいとくてき)にも食べたくなるもんなのだ。
にんにく臭い、息なんて気にならない熱いくちづけ、。
気取らない心地よさ、。
喪うことは、別れには違いない。
けれど、別れが最後ではないことを‶面影〟がいつだって教えてくれる。
そういえば、先日、詩をつくった。短い、短い詩だ。
短い、生涯に想い馳せて、。
シドと恋人ナンシー・スパンゲン。
‶互いにとって、もらってうれしいものを
限られた時間の中で与えあった。
いちばん、おおきい、ものをあたえるのをためらいながら、、。〟
そそ、それからだ。
超、久しぶりに袋麺を調理した。
懐かしい、未来。
こういった「思念」は【憑依、】かもなぁ(笑)。ってことも考えたりした。
追憶、と未来が寄り添うなかで、。
心の中で年老いることなく色褪せない。
‶深夜書店、って題名、そんな小説作を残したい。〟
そうや、また久しぶりに荷物あずけてる倉庫からレコード持ってこようかなとかも思う。
カップ麺(めん)より、袋麺(ふくろめん)が好きだった。
歳月経て、それに気づいた。
CD、とレコードみたいなもんか、。
ん?、ちょっとちゃうかな(笑)。
楽曲を聴くのも今のご時世はスマホで充分なのだから、なんにしても微妙な感覚か、。
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