山芋掘り北では牛蒡掘りとなり
鹿児島に住むようになって15年。独特の言い回しには驚かされます。「山芋を掘る」もその一つ。「昨日子供が、スーパーで山芋掘って困った」みたいに使います。スーパーで?山芋買ったんじゃなくて?初めて聞いた時には、まさに目が点。
ただをこねる、泥酔して人に絡むと言うような意味です。ただ怒りを爆発させられて困った…というよりは、慎重に慎重に掘らなきゃいけない山芋みたいに、ちょっとめんどくさいなぁみたいなニュアンスが含まれるようです。
この言葉の意味や語源をネットでしらべていたら、北海道や東北の方で、同じような意味の言葉に「牛蒡掘る」というのがあるのを発見。掘るものは違えど、北と南に同じような言い回しがあるのは面白いなぁと思ったのですが、あながちこれは偶然ではないかも、と思い当たりました。
というのも、北海道開拓に薩摩藩は深い関係があるからです。明治維新後、ロシアの脅威から北の軍備増強のため、西郷隆盛は北海道での屯田兵制度を提案、永山武四郎、黒田清隆らが従事することになります。一説には身分制度がなくなって職を失った薩摩の武士の救済もあったと言われています。薩摩藩の藩士の数は他の地方よりも飛び抜けて多く、そしてその大部分は、平時には農業などを行う下級武士でした。おそらくそうした人々が、北海道に渡ったのではと推測されます。
また東北、会津や仙台からも多くの藩士が入植します。こちらは戊辰戦争に破れ、生活に困窮した藩士たちです。戊辰戦争では、薩摩藩士とは宿敵でしたから、果たして両者の関係が良好だったかどうかはわかりませんが、何かしらの交流はあったでしょう。その中で風習や言葉が影響しあった可能性はあります。
さて、屯田兵は有事があれば日本のどこへでも馳せ参じなければなりません。西南戦争が起こった時にも派遣され、西郷隆盛は自分が提唱した屯田兵に刃を向けられることになるのです。
歴史もいろいろ掘ってみると、面白いですね。
✴︎牛蒡引く、牛蒡掘るまた、山芋も秋の季語です。
追記
その後、山芋とごぼうの生産地を調べてみると、ベスト3にはどちらにも北海道と青森がランクイン。鹿児島はワースト3でした。ということは、山芋掘るの発祥は北から、ということになるのかな。とすると、この句は「牛蒡掘り南は山芋掘りとなり」としなければダメなのかな?にしても、牛蒡がなぜ山芋に変わったのかも不思議です。
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