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🔴much shock cake(無意識)

子どものころ、ケーキ屋さんになりたかった。

理由は、ケーキが好きだから、甘いものが好きだから、作るのが好きだから、ケーキを食べた人の笑顔を見るのが楽しそうだから、というものではない。

ケーキ屋さんで働く人がいつも楽しそうに見えたからだ。ただそれだけの理由である。

大人になってケーキ屋さんとは違う仕事についた今、一人でそんな昔の思い出にふけっていると、帰路にあるケーキ屋さんが遠くに見え、立ち寄ってみることを思いついた。

近くにいくと、行列ができており、人気であることに心が躍った。中には1名様だけしか入店できないらしく、そのせいで時間がかかっている様子であった。並んでいる間に、SDGsもとい、SNSで調べてみた。……投稿数10000件以上。どうやら正解だったようだ。並び甲斐がある。

……カランコロン

思っていたより次々と人が入っては出ていく。なんとかウイルスのせいか、みんな無駄な時間を必要としていないようだ。

そう、なんとかウイルスのせいで今日は朝から忙しかった。利用者に感染者が出てしまい、職員にも感染。みんなTテストだか、U検定だかの検査をしながら、それでも平常通り仕事を続けなければならなかった。みんなそんなに働きたいのだろうか。誰のために働いているのだろうか。

こんな日くらい、「すみません。しんどいので、数日仕事をやめます。来週までにはまた始めようと思いますので、今日は帰ってください。」とお客さんに言えないのだろうか。あえて良心で言わないのか、それとも周りがやってるから、上が言っているから、やっているのか。何も考えていないのか。

そもそも、お客もお客だ。人に聞く前に自分で動け。分からないなら自分で調べろ。なんでお前が行動しなかった結果起きたその問題を、俺が解決しなければならないのだ。

挙句には、「お前じゃ話にならん。違うやつを呼べ。」「もっと分かりやすく説明して欲しい。」など、怒りながらごちゃごちゃごちゃごちゃ、人のせいにしてしまう始末。

「あなたのその無意識な言動自体が、そういった問題を引き起こしてしまっている原因だ。」と自分の顔にはっきり書いて、言葉にはあくまで丁寧親切をふんだんに取り込み、冷静に対応した。

顔に書いたそれを消しながら、「ああ、今日は疲れた。」とため息交じりに呟いた。だがしかし、これからこれだけ人気のケーキを食べられるからか、疲れていても待つことが苦にならない。こんな気持ちは久方ぶりだ。

……カランコロンカランカランコロンコロン

次は自分の番だ。

……………カランコロンカランカランコロンコロンカランコロン

キタ。中に入る。木目調の茶色の店内にオレンジ色の照明が映える。木材でDIPだかDHCだか知らないが、手作りしたショーケースに4種類のケーキが置かれている。なるほど。これは行列ができるわけだ。無駄がない。お洒落。落ち着く。

どれにしようかな~。家に帰ってどのタイミングで食べるか、どの寝着で食べるか、何の映画を見ながら食べるか、までを想像してそれに合うケーキを考えていた。

ふと、店員さんに目をやった。違和感があった。昔、あれほど楽しそうに見えていたのが幻想であるかのように笑顔が無かったからだ。

私「どのケーキがおススメですか?」

店「全部です。」

私「そうですよね。全部おいしそうですもんね。ははは。」

店「……」

もちろん笑顔は無い。早く出て行って欲しい。そう言わんばかりの塩対応だ。店内に漂う甘ったるい匂いと、店員さんから漂うしょっぱい塩対応のギャップに、少し目が乾いた気がした。

結局、考えがまとまらず、ワクワクを倍増させることが出来ずにケーキを一つ買った。乾いた目に目薬を早くさしたくて、足早に店を出た。もちろん、「ありがとうございました。またお越しくださいませ(キラキラした笑顔)~」は無い。

…カラン

なんだかお家にこのケーキを持って帰ることが少し不安になり、途中の公園でケーキを食べて、無かったことにすることにした。

家なら小さなスプーンで少しずつ噛みしめながら、材料を考えながら食べるのだが、今はスプーンが無いので、大きな口でこぼれることだけを気にしながら頬張った。

それにしても、なぜさっきのあそこのケーキ屋さんの店員さんは楽しそうには見えなかったのだろうか。

僕もお客さんにはこんな風に見えているのだろうか。だが、確かに僕がやっている仕事に憧れている人はいるはずだ。そしてその理由は、その仕事内容に憧れているのではなく、楽しそうに働き、輝いて見えたからであるはず。

おそらく、この「輝き」は、その人にとって「無意識」であり、何かに「夢中」になっているからこそ、本来の才能に努力が上乗せされ、磨きがかかり、輝いたのであろう。

意識的に、周りから「輝いて」見られたいのであれば、周りからは「輝いて」は見えないのであろう。その時でも無意識な部分が「輝く」はずである。

そう考えると、自分の無意識な部分は、おそらく既に持っている部分でもあるはずだ。まさに、意識的な部分は「ないものねだり」で、無意識的な部分は「あるものにきづく」だと感じる。

ケーキ屋さんの店員さんも、意識的な部分と無意識的な部分があるのかもしれない。今思ったことで、ケーキ屋さんの店員さんの無意識を考えるが、難しくなった。

いや、まあどうでもいいや。このケーキ、鬼くそ美味い。これだけ美味しいケーキは食べたことが無い。頬張ったことを後悔した。すぐに、今日一日の疲れと、さっきからずっと胸にあったしょっぱさが消えた。

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