『博論構想part.4』
性別違和、不妊手術、安楽死、wrongful life訴訟は、同系統の議論だという話をしていました。
上の是非の議論とNatureナーチャー論争と、そして売買春に関する議論は、同じ構造、構成になっているのではないか、という気がしている。
また、フロイトの性欲論と、幼少期のトラウマと、性別違和と、戦争と、暴力と、世代間のトラウマの受け渡し、そしてプロセスワークは、地続きになっていると見立てている。プラス、スピリチュアル。
プロセスワークは、フロイト、ユングから連なっているから、ある意味、当たり前だろう。
トラウマの受け渡しについては、刑務所研究を参照すべきだ。犯罪研究か。
以上の連関についてを、治療者の論としてではなく、自分たちのテクニカルなサバイバルの手段とスキルの記述として、マルタイエスノグラフィにおいて記述するというのが、博論の要になっている。
ゴフマンのスティグマの議論と、その議論がジューイッシュであることの上に成り立っていることは、その連関の記述の材料に、既になっていると思う。
アリスも犯罪研究ですね。
私の持ち味は、それをインディジネススタディーズの系譜に連なるものとして行い、ゴフマンもEMも、手法としてデコロナイズしようとしていること、になるはず。
インディジネススタディーズが日本に輸入されないのは、なぜ?
すでに日本にあるポストコロニアルに関する議論より、ずっと実践的だ。アンチクイアスタディーズ宣言で書いたことと、同じことですがね。
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