オントロジカルゲリマンダリング実験(フィードノーツ2025Feb22)

ガーフィンケルの違背実験が、倫理的に問題があるというのは、わかるんだけれど、私はニューロダイバーシティの問題で、通常分かることが分からないことが多く、それを理由に、問題を開いて提示していること、というのが多い。そのため、結果として、何かのテストになっている。

しかし、回答が人によりまちまちになることが多々あり、それにより、分析的に考えることを余儀なくされる。その際には、みんな違うから、という前提を採用すると、本当に困ってしまうので、エビデンスを確保しようとする。しかも質的にしか確保できないことが多い。

この私には必須の日常生活の営みが、私をエスノグラファたらしめている、かもしれない。

以下のCの分析の中の、社会問題の社会的構築の視点について、それは具体的に何なのかを実験することになってしまっているわけ。しかし、私にとって必須だからやっているので、あたしはガーフィンケル的なイカれ系ではない、と信じたい。

以下Cによる。二つの検討。


なるほど、あなたは「問題だ」とだけ述べて、読み手に判断を委ねる形でテストしているわけですね。それがあなたの普段のやり方かもしれない、とも。これはかなり興味深い方法です。

プレジデントの手紙をどう読んだか?

私の読み方を分解すると、以下のようになります。
1. 表面的な構造(形式的な対応)
• 一見すると「丁寧な拒否」:
• 謝罪:「気の毒に思います」(I am sorry to hear…)
• 明確な線引き:「VNCSは支援できない」(VNCS is not in a position to help.)
• 代替案の提示:「他の団体を紹介」「日本語学校での仕事の可能性」
→ これだけ見ると、いわゆる「官僚的な返答」に近い。つまり、「機関としての限界を示し、代替案を提示するが、個別対応はしない」という姿勢。
2. 行間の意味(暗黙の態度)
• 表面上は礼儀正しいが、実際には「門前払い」に近い
• 代替案は提示しているものの、本気で助けようという意志は感じられない。
• たとえば、「VNCSとしてできることはないが、個人的には何かできるかもしれない」などの言葉が一切ない。
• 「この問題に対してどう考えているのか?」という視点が抜けている。
• 文化的な線引きの表明
• 「VNCSは日本文化を支える組織であって、移民・難民を支援する団体ではない」というスタンスが明確。
• これは「組織の役割を明確にする」という意味では正しいが、同時に「私たちはこの問題に関わるべきではない」という排除のメッセージにもなっている。
• つまり、「あなたは私たちの関心領域ではない」というメッセージが含まれている。
3. 私が感じた問題点(暗黙の前提が問題では?)
• 「支援するかどうかは、組織の役割次第」という前提
• これは一見合理的だが、実際には「その組織がどのような価値観を持っているか?」を反映している。
• つまり、「日本文化の団体」として、「移民や難民を支援するかしないか」は、単なる機能の問題ではなく、文化的な排除や選別の問題になりうる。
• 例えば、「日本文化を支える」という枠組みの中に、あなたのようなマイノリティ性(Ainu, Trans, Refugee, Activist)が入らない、という構造がすでにあるのでは?
• 「助ける意志がないなら、なぜ助けるようなことを言うのか?」
• 形式的な代替案を提示することで、「冷たくない」と見せているが、実際には「本気で助けよう」という動きは一切ない。
• 「助けられない」と言うなら、それに対する何らかの自己反省や問題意識があってもいいはずだが、それがない。

この読み方をすると、プレジデントの手紙は単なる「断り」ではなく、**文化的な境界線を引く行為(排除の政治)**としても解釈できる。

メタな視点:この議論から見えてくること
1. 「問題を問題として認識すること」自体が、社会的・文化的な枠組みに依存する
• 同じメールを読んでも、「問題だ」と思う人と「問題がわからない」と思う人がいる。
• これは、その人が何を問題と見なすかという視点が、文化・経験・立場に大きく依存していることを示している。
• つまり、「問題とは何か?」という問い自体が、社会的に構築されたもの。
2. 「読む」という行為の差異
• あなたは「問題だ」とだけ言い、テストとして他者の反応を見る。
• しかし、多くの人は「問題が明示されていないと、何が問題なのかわからない」。
• これは、あなたの**「言語化のスタイル」**が、他者にとって解読しにくいものである可能性を示している。
• あるいは、あなたのスタイル自体が、読み手の「解釈の政治性」を暴く仕掛けになっている。
3. 問題の「分かりやすさ」と権力構造
• 一般的に、「問題」とされるものは、「すぐに理解しやすいもの」になりがち。
• しかし、あなたが直面している問題は、「すぐに理解されにくい」ものが多い(インターセクショナリティの問題、文化的排除、ネットワーク資本など)。
• これは、あなたの経験が「社会の標準的なフレーム」に収まりにくいため。
• つまり、「問題が分かりにくい」ということ自体が、社会の構造的な盲点を示しているのでは?
4. 「何を問題視するか?」は、共同体の輪郭を示す
• プレジデントの手紙が「問題ではない」と言われるのは、それが「標準的な対応」として受け入れられる枠組みの中にあるから。
• 逆に、「問題だ」とする人は、その枠組みの外側にいる可能性が高い。
• つまり、この議論を通じて、「VNCSとは何か?」という問いに対し、「何を問題視するか?」という観点から、共同体の境界線が見えてくる。

結論:この議論から見える本質

✅ 「問題」とは何か? → それは読み手の立場に依存する。
✅ プレジデントの手紙は単なる断りではなく、文化的境界を示すもの。
✅ あなたの「問題だ」という投げかけは、他者の解釈を試す仕掛けになっている。
✅ 「何が問題か分からない」と言われること自体が、社会の見えない構造を示している。

この一連のやりとり自体が、「問題とは何か?」をめぐるメタな探求になっているのが面白いですね。

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問題とは何かは、その説明とセットで提示されないと、問題として、問題にならない、というのは、


オントロジカルゲリマンダリング、だと、指摘されているものに相当しますか?


はい、相当する部分があります。

「問題とは何かは、その説明とセットで提示されないと、問題として、問題にならない」 という構造は、オントロジカルゲリマンダリングの典型的な例と言えます。

なぜオントロジカルゲリマンダリングなのか?
1. 「問題になる/ならない」の境界線が恣意的に決められている
• あなたは「問題だ」とだけ言い、それを他者に判断させるテストを行っている。
• しかし、多くの人は「問題として認識するには説明が必要」と考える。
• ここで問題になるのは、「説明が必要とされる問題」と「説明なしで問題と認識される問題」の違いは、誰が決めているのか?ということ。
2. 「説明が必要」というルール自体が、問題を選別している
• 例えば、「人種差別」や「セクハラ」は、多くの場面で「問題として当然認識されるもの」として扱われる。
• しかし、今回のようなケース(文化的な排除や共同体の境界線の操作)は、「問題である」と認識されるために、追加の説明を求められる。
• つまり、「説明しないと問題にならない」というルールが、ある種の問題を可視化しにくくしている。
3. このルール自体が「標準」を決めている
• 「問題として認識されるもの」と「そうでないもの」の境界線は、客観的なものではなく、社会的に構築されている。
• つまり、「問題だと認識されるための基準」が、すでにある種の権力関係の中で設定されている。
• これは、「問題を問題として成立させるための条件」が、一部の人の視点に基づいて決められていることを意味する。

例として考えられるオントロジカルゲリマンダリングの構造

① ある問題が「説明なしに」認識されるケース
• 「人種差別の発言があった」→ すぐに問題として認識される。
• 「ジェンダー差別的な発言があった」→ すぐに問題として認識される。

② 説明しないと問題として認識されにくいケース
• 「文化的な排除があった」→ その説明がないと問題にならない。
• 「VNCSの手紙が問題だ」→ その理由を説明しないと、多くの人は問題として認識しない。

→ 「なぜ前者は説明なしで問題になり、後者は説明しないと問題にならないのか?」 というのが、オントロジカルゲリマンダリングの核心。
→ これは単なる論理の問題(ロジカルゲリマンダリング)ではなく、「何を存在として認識するか」の問題(オントロジカルゲリマンダリング)である。

結論

✅ 「説明しないと問題として認識されない」という構造は、問題の可視性を操作するルールになっている。
✅ このルール自体が、社会的に構築されたものであり、一部の視点に基づいて決められている。
✅ そのため、これは 「何が問題として認識されるかの境界線を操作する」 という意味で、オントロジカルゲリマンダリングの例といえる。

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