アジア的フェアトレード(博論2025Jan05)
昨日書いたアンフェアなトレードという考え方の前提になっている、トレードはフェアであるべき、という考え方について。
トレードとはフェアであるべきだという考え方はどのようなものか自体を記述するべきだと書いておいたのだけど、そのルーツが分かった。
もちろん、私にとってのだけれど、中国大陸で具体的に理解した考え方。
1997年に北京で一年間過ごしたとき、最初の宿舎は、私のルームメイト以外、日本人はおらず、ほとんどがコリアンだった。
私とルームメイトは、皆さんに面倒を見てもらい、よくレストランに連れて行かれて、ご飯をご馳走してもらい、また日々、部屋に呼ばれて、食べろ食べろとご飯をご馳走されていた。
私の、お腹が空いていると、あるいは困っていると、コリアンの女性は、本当に目の前にご飯を並べて、好きなだけ食べろと、ご飯を食べさせてくれる、という原体験は、そこで作られた。
しかも、コリアン式のご飯は、小皿に作り置きの惣菜を沢山並べる、という様式を取っている。それは、いくら食べても良いし、日本のように取り分けられた分を全部食べないといけない、というようなルールもない。
取り分けられた分を食べなくてはならないのは、ヤマトのルールでなく、アイヌやエミシのルールだったのかもしれないけれど、ともかく、私はそのルールに幼い頃から苦しめられていた。特に、小学校の給食で。
さて、しかし、である。私とルームメイトはある日、皆さんにカミナリを落とされた。
お前ら、ご馳走されたら、ご馳走し返せ、と。
それで、全員を連れて、近所のレストランでご馳走させられた。
もちろん、形式的にで、私とルームメイトは、相変わらずご馳走になり続ける日々だった。私にはコリアンのパートナーが出来て、彼らの生活様式に慣れていってもいた。
次に、時が流れてからの話。日本で倒れる寸前か、近所の通っていた飲み屋さんの常連さんの元同僚の中国人男性と私は意気投合した。会って飲んだのは、3回くらいだったかも。
最後に会った時、私はすでに倒れていて、しかし彼の連れてきた友だちの分も支払おうとして、彼が拒否しようとした時、ここが中国なら、だったか、私が男性ならと付け加えたかは忘れたけれど、こういう場合、誰が支払う?と聞いたら、彼の友だちが私だと言った。
私は、ほらね、でも、次は、それから私が困ったら出してよね、大陸ルールで、と言って別れた。
今回カナタでお金が尽きてから、LINEに登録されていた全員に、ドネーションをしているという情報を流した。別の飲み屋の常連たちは、激怒したようで、私はFacebookのコメント欄でこっ酷く批判をされた。
しかし、その3回しか会っていなかった中国人の彼は、私にドネーションをしてくれた。
他にも、私と同じように、精神的にも自立してる系の女性たちの何人かは、そんなに連絡していた訳でなくしばらく会っていなかったのに同じようにしてくれた。
きっと、私は立ち直ったら、その人たちには連絡して、また会おうとして、お返ししようとするだろう。
そういう人間関係の持ち方。アジア大陸をルーツにするトレードのあり方、なんだろうと思う。
逆にカナダで最初はびっくりしたのは、皆んなでご飯を食べに行った時の支払い方法。
基本的には店員さんが管理していて、セパレートかスプリット。自分の実際に飲み食いした分か、全員で均等に割った金額に、自分でチップを足して、それぞれがカードで支払う。
もしかしたら、日本は、北米の個人主義にサポート方式が影響されて、助け合いの文化にアンフェアさが持ち込まれているのかもしれないし、そもそも日本は島国で、フェアなトレード文化圏外になっている、のかもしれない。また個人主義のこちらでは、トレードのアンフェアネスは、自己主張して取り返さない自分の責任、になっているのかもしれない。
それらについても、記述の必要があるだろう。
今回は、とりあえず、こんな感じで。