「ルーティン」が大嫌いなのだけれど。
実は私、「ルーティン」が嫌いです。
「決まったこと」で埋められると窮屈で、「決まっている」ならもう分かってるから面白くない、と思ってしまいます。「習慣化」という言葉も、重要なのは重々分かっているけれど嫌いです。窮屈な感じがします。
いやです。(´з`)
そんな私が、やっと自分なりに
・“心地いい”と思える【ルーティン】
・意識的に【ルーティン】をやる意味 に出会えた話。
私はこの春まで3年間、夜に専門学校に通っていて国家試験を受けて鍼灸師の資格を取りました。春以降、コロナで在宅勤務メインとなり、ぼちぼちと鍼灸師としても活動しつつここ数ヶ月でだいたい毎日の生活リズムが出来上がってきました。
stay東京も、いつもと違う夏もそれなりに楽しみつつ過ごしていた中、つい最近1週間ほど「パタリとだうん」しました。
何かストレスフルなことがあったわけではないのですが、ぷつっと気持ちが切れてしまい、何もしたくないモードに。1週間ぐだぐだ過ごしてしまい、これまでのいい生活リズムも一時崩壊。(今週は無事復活しました)
その中でも2つだけ、続いた/意地で続けたことがありました。
●続いた=心地いい=“コーヒールーティン”
#stayhomeになってから、コーヒーを嗜むようになりました。
その話はこちら↓
https://note.com/kozkoz0424/n/n985058eda1e2
コーヒーを飲むために朝早く起きる。
(パタリとだうんの1週間は、朝早くはなかったけれど)
どの豆にしようかな、と選んで
香りを楽しみながら豆を挽いて、
ゆっくりとお湯を注ぎながら香りと膨らむ様子を眺め、
注いだコーヒーの香りを味わい、
カフェオレの入れ方に試行錯誤し、ゆっくり味を楽しむ。
少なくともトータルで10分ぐらいはこれに時間をかけているのですが、今では忙しい時でもコーヒーを入れちゃうようになりました。
コーヒー豆も色んな焙煎所のお店で、店員さんとの会話を楽しみながら選んで買っていて、「今日はどの豆にしようかな」「今度何を買おうかな」が毎日の、そして次のお出かけの楽しみとなりました。
こうした心地いいルーティンは、やる気がない時、グダグダしている時でも
ほっと一息、楽しめた時間でした。
まさかコーヒーがそんなアイテムとなるとは。この心地よさ、心地いいルーティンはこれからもずっと続けたいな、この余裕を持てる自分でいたい、日々でいたいな、と思います。
●意地でも続けた=自分で自分に課した“鍼ルーティン”
鍼灸師なので当然といえば当然かもしれませんが、課題を決めて毎日自分に鍼を刺して技術の練習をしています。
専門学校の1年生の確か10月、とある勉強会に出て先生から「毎日打ちなさい(鍼を)」と言われたこと、その時習った技術が、簡単そうに見えて全然できなかったことが悔しくて、まずは国家試験に合格するまで「毎日練習する」と決めました。「もし毎日練習できなかったら、国家試験に受からない」と自分に願掛けをして。
合格した後も、鍼灸師で仕事をする以上やらないわけには…と思い、鍼灸師である以上、毎日仮に1本でもいいから鍼を刺す!と決めて続けています。
1週間、だうんをしてグダグダしていた期間、何度も「今日ぐらいよくない?」「明日、2日分やればよくない?」とぐだぐだモードの自分の囁きがありましたが、いや、1日中ぐだぐだしていていいいから、練習量は減らしてもいいから、絶対に練習だけはする!となんとか踏ん張りました。
1週間踏ん張った結果気が付いたこと。
「これだけはできた」という自分への自信。
「ここまでやってきたから大丈夫、まだ頑張れる」という自信。
本当にグダグダしていたので、もっとできたことはたくさんあったし、他の人と比べたら、全然できていないこともだめなこともある。けれどそれはさておき、自分で自分を認められる、小さな自信を積んでいけるできごととなりました。
何を習慣にするか、は人それぞれ。
でも、何かを続けることでそれが自信になる。
何か1つでOK。「今日もできなかったな」と「今日はこれができた」の心の持ちようは大きな大きな差になると、ひしひし感じます。
最後に。
「頑張る!」だめ、ずっとは続かない。
中庸って難しい。だからこそ、心地よさを大切にしたい。
それも今月の大切な気づき。
#朝渋ONLINE
https://community.camp-fire.jp/projects/view/243458?fbclid=IwAR3cKf7MEXn7ECsjvS-P370lcn-1qbI-CbZUGQZ6yk1Eg_Yk9gbswy8Q9gE
#大切にしているルーティン