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大学受験を控えた高3の冬、家庭教師が逮捕された

1.家庭教師との出会い

高校三年生、冬。

今から7年くらい前の話になる。

受験目前で、家庭教師が逮捕された。

その時のことを話したいと思う。



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当時、受験を目前に控えた私は焦っていた。

「英語ができない。」

国語、日本史については得意だったが英語だけはなにをしても全く伸びず、特に長文を読むことがどうしても苦手だった。

そんな私を見かねた母がつけてくれたのが家庭教師。

家庭教師といっても家に来てくれるわけではなく、ビルの一間を借りてそこで1:1で勉強を教えてもらっていた。

今ハイジのcmをしている家庭教師派遣会社の広告塔にもなっている有名な先生を、母のツテで個別に紹介してもらった。

その先生に教えてもらったのは高3の9月から。

「初めまして。Aと申します。残り数ヶ月、一緒に頑張りましょう」

そう自己紹介した家庭教師の第一印象は「無害な森のクマさん」だった。

ちょっとぽっちゃりしてて、暖房をつけるとすぐに汗をかき、ハンカチが手放せないけど優しい目元をしたクマさん。

ご結婚もされていて、小さな息子さんが一人いるようだった。


肝心な英語を教える能力について、、

やっぱり広告塔になるだけあって、説明はわかりやすく、伸び悩んでいた英語の成績も伸びた。今まで呪文みたいに見えていた英語の論文も、何となく理解できるようになっていた。

そして、授業を受け始めてから何回目を迎えたある日のこと

2.先生が来ない

時間通りにいつもの渋谷の雑居ビルに来て、インターホンを鳴らしたが、応答がない。

ビルの鍵はいつも先生が空けて先に準備をしているため、その日私はエントランスから先に入ることができなかった。

授業開始時刻から10分経っても先生が来なかったので母親に連絡をした。

私「先生いないんだけど…」


母「え?!ほんと?OOさん(先生を紹介してくれた人)に聞いてみるね」


〜10分後〜

母「なんか、OOさんも先生と連絡が取れないみたい。悪いんだけど、今日は帰ってもらってって。また連絡するって。だから今日は無しかな〜」

私「ええ〜まじか。わかった〜(ちょっとラッキー。スタバ行ってゆっくりして勉強して帰ろ)」

帰り道の渋谷はちょっとキラキラしてて、

スタバを片手に日本史の勉強をして帰った。

3.実は…

「先生、逮捕されちゃってたらしい」

そんな話を聞いたのは、前回授業をすっぽかされてから約1ヶ月経った時のこと。もう12月で、先生に頼った英語の勉強はできないから、ラストスパートは独学でやるしかないと切り替えた後だった。

衝撃だった。

センター試験1ヶ月前に見放され、連絡が来なかったことに怒りを覚えていたが、それも吹っ飛んだ。

私「え、なんで??逮捕??」

うん、と母は続ける

母「なんか、麻薬?所持してたとかなんかで、逃げてたらしい。お姉さんが吸ってたとか…?先生が吸ってたかどうかはわからないんだけど…」

私「ええ」

そんなことあるのかと思った

母「なんかしかも、アジアのどっかの国に現地妻がいるらしくて…そっちに子供もいるみたい。それでもなんか揉めているみたい」

私「ええ?!」


母「OOさんが、ある日そのビルに行ったら、先生のお子さんが一人でいたんだって。お父さんは?って聞いたら「知らない」って。それで調べたら色々分かったみたい。」


色々よくわからなかったが、先生がやばいことだけは分かった。

しかも先生は紹介してくれたOOさんに、「僕の息子を宜しくお願いします」とメールして、ビルの一室に息子を置き去りにしていたらしい。

そしてよく調べたら、その先生は一度逮捕されて、保釈された隙に国外逃亡をしたらしい。

(7年前の話なのであやふやだが。たぶんそうだった)

どんなドラマ。

子供かわいそうすぎる。

小学校受験もそれのせいか落ちちゃったらしいし。

無害な森のクマさんみたいな顔して、実は北海道にいるヒグマ並みの凶悪さだわ。


いろんな思いがあったが、その当時は受験で精一杯だったので「まぁそんなこともあるか」くらいに思ってた。

でも、大人になってからふと思い出して、

「いや結構大事じゃないか?!」

と思って供養を兼ねて記事にした。

人生思い返すと、色々あったなぁ、と思わされる一件のうちの一つだ。


結局私は第一希望に落ちてしまったけど、まぁまぁ納得できる大学に行くことができた。

それなりに楽しい学生生活が送れたので、終わりよければ全てよし。家庭教師が突然いなくなってもなんとかなるもんである。






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