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別枠メンタル
10月末で前の仕事を退職し、1日も間を空けず新しい仕事に就いた。
経験値はあるとはいえ前職とは全く違う分野、初日は本社研修で翌日から少しずつ勤務先に入り学ばせてもらっているけれど、かなり勉強しないとついていけないのでは、という雰囲気を感じ取り必死に必死に頑張っている。どんな仕事もそうだとは思うけれど扱う情報が大変に気を遣うものであるため気を張り続けて、半月ほど経って疲れ果てている自分に気が付くような感じだった。
はじめにまずは基礎を身に着ける、という段階にしても、仕事のやりかたとそこに必用な知識を入れることだけでなく、新しい生活リズム、職場でのルールや人間関係も同時進行で覚えていかなければならないため正直息も絶え絶えなまま半月過ごし、今月末に近づいてようやく基礎の基礎が分かった…かな?といった段階で、基礎を覚えたつもりでも基礎通りに行かないことのほうが多くて自分が応用利かない人間なのでは、と凹むことも多い。もうそこは数こなして経験積んで身に着けていくしかないのでフォローしてくれる周りに感謝しながらやるしかないのだけど、新人です、で許される期間はもうそんなに長くないぞ、と毎日気持ちを引き締めている。
今は、仕事の基礎の基礎がようやくわかってきて、一応基礎に沿っていれば一人でお客様を最後まで対応できる辺りに近づいたかな、という段階なのだけれど、ほんの少し余裕ができた隙間に仕事ではない側の問題が顔を覗かせてきた。
まだまだ半人前にも満たないけれど、仕事は楽しいし充実している。事務がメインで接客ちょいちょいな感じもバランスがいいし、生活のリズムもなんとなくいい感じにつかめてきた。私について教えてくれる方はとてもいい方だし、課の仲間もみんないい人だと感じてる。
いい人が多くてありがたいな、と思っている、思っては、いる。
表面上のメンタルは割と充実していると感じてはいるものの、家に居るとき、ふとした瞬間に涙が出ることが時々起こるようになった。昔からそうで、私は「反動」と呼んでいるのだけど、新しい人間関係を形成し始めたときに少し経った頃必ずやってくる。新しい人間関係が良いか悪いかは関係なく、恐らくコミュ障が人間関係形成のためにエンジンフル稼働で頑張ってしまうことで落ち着いたころにドカッと疲労が出るのだろう。
コミュ障と言っても、種類がある中でわたしは、コミュ障だと相手に感じさせないことで目立ちすぎず下がりすぎずうまく隠れられる安定した位置を獲得しにいくタイプで、そんなに頑張らなくても、、、と言われそうではあるけれど自分の心の平穏のために自分が無難に過ごせる位置を模索し続ける派に属している。人づきあいが得意ではないからこそ人当たり良い存在という位置をキープし、無駄に厄介ごとを引き込まない予防線を張り続ける。
そりゃあ疲れるでしょうとも。笑
でも、初動の動きはそれ以降の自分の立ち位置を決めてしまいかねないから、新しい人間関係を形成する時期はどうしても全力で頑張ってしまう。おかげで自分が希望する立ち位置に何となく身を置けてきた気はしている。
頑張ったよー疲れたよーって泣いているメンタルと、頑張ったねー疲れたねー偉かったねーのメンタルがいま共存していて、この記事のタイトルが頭に浮かんで。タイトルありき、で気持ちの整理を兼ねて言語化してみた。
きっとこの時期を過ぎたら別のコミュ障的試練が訪れるのだが、そのときはまたわたしらしく気持ちの整理を兼ねた言語化で闘おうと思っている。