秋茄子を嫁に
茄子の漬物が大好きだ。
色鮮やかな紫の皮は噛むとキュッとして弾け、内に秘めた茄子の甘みを塩気とともに口と脳に広げてくれて心を満たす。ほどよく締まった果肉の食感は、茄子、食べています!と実感させてくれる。
夫は茄子の漬物が好きではない。
皮がかたい、噛み切りにくい、茄子は全体的に柔らかくしたのが食べたい。とろっとろのやつ。これは食べ物全般にこんな感じなので、私とは食感に対する好みが真逆なのだろうということで私の中で決着がついている。
漬物は1人で食べれば良い。
しかし、夕飯の献立として入れる時には色々作ってみたいのが主婦の性。グラタンにしてみたり、炒め物にしてみたり、煮てみたり、出来るだけ色々な形で食卓に上げようと努力した。
した。
微妙に過去形である。
茄子料理をテーブルに出す。味の話などする。必ず、美味しいよとは言ってくれる。しかし、気付いたのだ。
『今度は天ぷらにしてね』
100%という数字では物足りないくらい、毎回、必ず、絶対、言う。天ぷらが美味しいのはわかる。さっくりした衣に包まれたとろりとした茄子を塩でも出汁つゆでもつけて食べればそれはもうたまらなく美味しい。夫は茄子の天ぷらが大好きなのだ、それはわかる。
しかし、茄子料理を出す度に天ぷらにしてくれと言われ続けた結果、そうでないとしても出したものには満足されていないような気持ちが積み重なるし、野菜売り場で茄子に手を伸ばしながら『まず天ぷらに…まず天ぷらに…』呪文のように心で呟いてしまうようになっていた。そのままいつのまにか茄子を買うのが億劫になっていた。
私は献立を決めずに買い物に行く。セール価格の物を手に取り『これで何を作ろうかな』と考えながらカゴに入れる。その楽しみが、茄子の場合半分くらい奪われているのか、ある日そう気付いたけれど、同時にいや待てよ、あたしゃおバカだなと笑いながら5本入りの茄子をカゴに入れた。
作れば喜んで食べるのがわかっているのだから、ありがたいことではないか。茄子の袋の半分は天ぷら、半分は私の作りたいものを作れば良いではないか。縦の茄子はあなた、横の茄子はわたし、長茄子切って、好きに作って、美味しいねって笑ってる嫁でいいじゃない。
買った茄子の袋の、先に作る半分を私の自由にした時は、次は天ぷらにするからね!と予告しながら先手を打つ。決してあなたの好みを蔑ろにはしない、けれど、私のことも尊重してね。そんな気持ちが予告の言葉で圧力をかけているかもしれないけれど、なんとなく食卓が柔らかく纏まってきたかな、そんな気持ちで私はまた茄子を買う。今年もうまい秋茄子を食おう。