スプラトゥーン2がわたしにくれたもの
お久しぶりのnoteです。
長文への意欲が停滞する程度には、今もスプラトゥーン2に浸かっています。
私、基本的にはTwitter民なのですが、恐る恐るプレイ動画を上げ始めてから、じわじわとスプラトゥーンアカウントからのフォロワーが増えフォロバしていくうちに少しずつ意思の疎通が出来るフレンドが増え始めました。
ぼっちじゃなくなったのです(笑)
とは言えコミュ障の自覚はあり、自分から近付くのはやはり緊張するし得意ではないのでのんびりペースで楽しんでいました。
そこから、Twitterでやり取りしていくうちに、この人はよくリプくれるし絡みやすいなぁ、いい人そうだなぁ、と思った人に少し距離を詰める試みをし、そこから仲良くなって毎週決まった時間に集まって遊んでくれるフレンドになったり、フレンド繋がりで更に交流が繋がったり、ちょっとスプラトゥーンライフが充実し始めました。
その繋がりから更にフォロワーが増えていき、気が付けば年齢層も幅広く仲良く楽しめる人も増えていき、SNSの凄さとありがたさを実感しています。
多分私がお母さんくらいの世代だよね?な子たちともとても楽しく遊べるし、言葉のやり取りをしていてもすごく楽しい。
私若い頃こんなにしっかりしてなかったなぁと苦笑しながら会話したり、若さ故の青さや勢いを感じたりしつつも、ひとつの同じゲームを好きで一緒に楽しむことに年齢や性別なんて関係ないのだなぁとしみじみ実感する日々になっています。
気が付けば、自分から話しかけるのは超苦手な私が、ほんの少しだけど人との距離を詰めるのに勇気を持つようになってきました。
よく絡んでくれるあの人は、楽しく遊んでくれるかもしれないからフレンド申請してみようか。(こわいけど)
フレンド申請くれた、よくインする時間の合うあの人のナワバリにも入ってみようか。(不安だけど)
よく考察ツイートしているあの人は私とは違う楽しみ方をしているけれど、寧ろそこがとても魅力的で尊敬できる、私よりずっと強そうだけど、一緒に遊んでみたいなぁ。(緊張するけど)
もういい年のおばちゃんな割に、人に近付くのがこわくて、距離の取り方が難しくて、やっと仲良くなれてきたかなという頃には今度は調子に乗って踏み込み過ぎてないかと不安になったりして、なんだけど。
どんだけコミュ障だよ、どんだけ面倒なやつだよ、と自分でも思うけど、どうかな?どうかな?と思いながら、少しずつ乗り越えてみました。
基本的にネットの世界もリアルと同じと思っているので常に関わる人に敬意を払って大切にしていくけれど、もしうまくいかなかった時にはネットは身を引きやすいという部分がある点で、少しだけリアルより勇気を持てているような気がしています。
勇気に後押ししてくれるのが、関わってくれる人がみんないい人なこと。
気楽に話ができる人、少し深い話も出来る人、合流したら喜んでくれる人、声かけたら来てくれる人、私よりずっとうまいのに決して傲らず背中で色々教えてくれる人、アドバイスをくれるのにも言葉選びに配慮と優しさを感じる人、だんだんと、気持ちがほぐれて人との距離の取り方が変わってきた自分を感じています。
リアルでの私の周りはゲームしない人の方が多いのでひとりの頃は黙々とやっていたのですが、同じものを同じように楽しんで、共通の話で笑えたり、一緒に遊んで共に勝利を喜んだり敗北を残念がったり、とは言え負けてもフレンドと一緒だと楽しくて、こうだったああだったと話せることのとてもとても楽しいこと。
フレンド同士だけで遊べるシステムでは色々な新しい楽しみ方もあったりして、まだまだ楽しめそうだなぁと嬉しくなったりしています。
ゲーム、というと少し冷めた目で見る人もいる実感はあるのだけれど、ゲームの中のフレンド画面を開いて誰か居るかなぁという感じは、子どもの頃に公園に行ったら誰か居るかなぁってわくわくした気持ちにとても似ていて、しかも割と全時間帯に誰かしらいるので、人の気配を感じることがこんなに嬉しいものなんだなぁと気付いたりもして。
あれ?わたし、人が好きになってないか?
そうかもしれない、と笑っていたりするのです。
何かにハマって共通の気持ちを分かち合うという経験が初めてなので、ちょっと大袈裟だろうか?とも思うけど、この歳になってからこんなにいい友だちに恵まれるとは予想していなかった分幸せで、ありがたくて、大好きで大切な人がたくさんできたことはなによりの宝物だなぁと、生きててよかったな、と、うん、大袈裟だって思ってくれて構わないけど、結構本気で感じていたりするのです。
関わってくれるみなさん、本当に、いつもありがとうね。
まだまだコミュ障の看板下ろして無いけど、確実に前は向いている気がしています。