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夏が来れば

 夏の気配を感じる頃、必ず思い出す風景がある。
私が子供の頃、祖父母は琵琶湖のほとりに住んでいた。毎年夏休みを精いっぱい使って、私と妹は祖父母の家に滞在し、両親の目が届かないのをいいことに、これ以上ないというくらいに夏の楽しみを味わった。

 あの時見たもの、聞いたもの、感じたもの。
それら全ては私の記憶,もしくはそれ以上の深さのどこかに、ずっとしまわれていて、むっとする暑い夏の空気や、その年初めて耳にした蝉の鳴き声によって、ふわりと香り立つように、私の脳裏に浮かび上がってくる。

キラキラと眩しい湖面。
風にそよぐともそよがず、じっとしている松の木が静かに湖畔に落とす影。
青々とした田んぼから迫る、水と緑の匂い。

 祖父母の家から琵琶湖までは、大人なら歩けるかもしれない距離だった。祖父はいつも、帰りにびしょ濡れになる私たちのために後部座席にバスタオルを敷いて琵琶湖まで乗せて行ってくれた。水着を着てゴーグルさえも装着した私たちは、気ぃつけや、と窓から声をかける祖母に、元気に手を振り、朝から出かけた。

 当時の琵琶湖の湖畔には特に何の店舗もなく、ただ静かな松並木が続いていた。何に使われるものだったのか、小さな船が何艘か岸に引き上げられていた。人影はそう多くなく、車を止める場所に困ることもない。

 琵琶湖に着くと、祖父はゴザを日陰に敷いて、ゆったりと肘をついて横向きに寝っ転がった。子供達が飽きるまで遊ぶのを、いまから見守らなくてはいけない。
 私たちはといえば、さっそくビーチサンダルをその辺に脱ぎ捨てて、準備運動もそこそこに琵琶湖に駆け寄って行く。波打ち際の、長い年月で丸く磨き上げられた石はツルツルと黒光りしていて、そしてもうすでに猛烈に熱くなっていた。熱い熱い、と毎回のことなのに大騒ぎして、琵琶湖にぱしゃぱしゃと駆け込む。

 琵琶湖にはゆったりとした波がある。
ざざーん、と海の波打ち際と同じ音もするが、海のように突然サイズを変えておおきな波が来たりすることはない。
 ただ静かに、規則正しい。

 琵琶湖で遊ぶと言っても、何か特別な遊びがあるわけでもなかった。ただガシガシと水を掻いて泳いでみたり、潜って石を拾ってみたり、時には湖底に張り付くようにして生い茂る水草と石をながめ、ただ魚の気分を味わったりもした。上がってこない私たちに祖父がどれほどやきもきしたことか、当時は知る由もない。
 とにかく、何をするわけでもなく、飽きずに何時間でも遊んでいた。
くたびれると祖父のいるところへ戻り、ゴザに座って休憩をした。足の着かんとこまで行ったらあかん、と祖父は言ったが、好奇心旺盛な私は、沖に浮かぶオレンジのブイまで行きたいとわがままを言った。
 遊泳区域を示すブイは、沖と言ってもそれほど遠くはないところでゆったりと浮いており、その辺りまで行くと大人でも足がつかない水深であることを知っていた。

 あまりに私がしつこいので祖父は折れた。
白いちりめんのシャツに、すねまでの長さのステテコを履いた祖父は、よっこいせと掛け声をかけて立ちあがり、そのままの姿で琵琶湖に向かった。腰ほどの深さのところまで歩いていくと、そのまま、ざぶざぶと泳ぎ始めた。少しとんがった麦わら帽子が、ゆらゆらと上下に揺れている。私は急いで浮き袋を持って祖父の近くまで行った。
 浮き輪は持っとくんやで、と言って祖父は泳ぎ出した。頭をもたげたまま、ゆうゆうとした平泳ぎである。
 私は足をばたつかせて祖父について行った。

 ふと、気づくと水の色が濃くなっていた。いつも周りにたくさん浮いている水草も、ほとんどない。深いところにいる、と言うことに気づいて、水やプールを怖がったことがない私も、少し不安になった。
 相変わらず祖父は安定したペースでゆったり泳いでいる。

 やがてオレンジのブイに手が届き、私は喜んでそれを両手で掴んだ。バスケットボールくらいのそれは、近くで見ても遠くから見ても、何の変わりもないものだった。ただ、遠くにあったものを今は触ることができる、ということに私は興奮した。すぐそばで同じようにブイを掴み休憩している祖父に向かって何度も話しかけ、両手でブイを抱え込んでは、その度に浮き輪から手を離したらあかん、と繰り返し言わせた。

 少し休憩すると、祖父は帰るように促し、そこで私は祖父が横泳ぎをするのを初めて見た。祖父は軍隊の訓練を受けた経験があるので、泳ぎの特訓もしたのだ、という意味のことを言った。確か当時すでに70歳に手が届いていたと思うが、祖父は疲れも見せず、私が足のつく浅瀬に着くまで悠々と泳ぎ続けた。

 昼近くになり、私たちはまたゴザで休憩をした。
やがて叔母がやってきた。おーい、と離れたところから元気な声が聞こえ、振り返ると叔母が松の木の向こうで手を振っていた。がしゃんと自転車を止めて、かごから袋を取り出して歩いてくる。

 わー、と私たちは歓声を上げる。
袋の中身は、おばあちゃんのおにぎりだ。
しかも、炊き立てのご飯で作る、まだ湯気が出そうに温かいおにぎりなのである。

 いそいそとゴザまでやってきた叔母が、おにぎりの入ったパックを真ん中に並べ、パックを留めていた輪ゴムを外した。

ふわりと立ち昇る湯気としんなりした海苔の香り。
叔母がいそいそと麦茶を注いでくれる音。
静かに絶え間ない、琵琶湖の波が運ぶそよ風。

 真夏とは言え、泳いだ後の身体は意外に冷えている。おにぎりはじんわりと、そしてしっかり温かい。
 おばあちゃんのおにぎりは俵形である。海苔は味付け海苔ではなく、焼き海苔だ。少し赤みががったような色をしている。しんなりと塩むすびになじみ、塩味も感じられる。祖父母の家で食べるお米は、まさに今、そこかしこで青々と茂る田んぼから採れたものだ。噛むと甘みがあり、もちもちとして美味しい。おばあちゃんがいい塩梅に握っているので、ほろほろと適度に口の中でほどけ、塩加減もちょうどよい。おかわりを繰り返し、私たちはほかほかのおにぎりを完食した。

 叔母は空になったパックを片付けると、そろそろ帰っておいでといい残し、自転車で帰って行った。
 腹ごなし、と称してもう一度琵琶湖に入った私たちは、十分に満足して祖父にもう帰る、と訴える。

 車のあるところは砂地になっているので、びしょびしょのサンダル履きの足で歩くと砂まみれになってしまう。砂利が途切れるところまで歩いて祖父を待っていると、抱き抱えて車に乗せてくれる。バスタオルに座り、私たちは短いドライブをして帰る。

うだるように暑い夏の空気。
宇宙を思わせるほど青い空。
田んぼの真ん中を抜ける田舎道の埃の匂い。

 祖父の車から飛び出した私たちは、ただいまと言いながら玄関の近くにある浴室に向かう。琵琶湖で泳ぐと、千切れた水草や細かい砂が水着の中や水着の繊維に入り込むので、そのまま着替えをすることができない。昼の日中から私たちはお風呂に入るのだ。
 私たちがお風呂に入っている間に、水着はおばあちゃんの手によってさっさと裏口に干されている。あくびをしながら猫たちがそれを見上げ、遠くから香る何かに鼻をひくつかせている。

 砂を洗い落としてさっぱりした私たちは、まだ髪が濡れたまま、裏口で洗濯物を干すおばあちゃんや仏間の祖父、台所に立つ叔母に絡みつき、何をしたわけでもないのに、今日琵琶湖でしたことを逐一全部報告した。
 そうかそうか、と聞き流しながら、祖父は仏壇でリンを鳴らし手を合わせると、西瓜を下げた。
 私たちはうっすらお線香の香りのする西瓜を食べて、ほっこりしたやろ(疲れたでしょう)というおばあちゃんに言われるがままに、座布団を並べて昼寝をする。

近所の工場こうばの機織り機の音。
山鳩の鳴き声、耕運機のうなる音。
夏の午後の乾き始めた空気の匂いとひぐらしの声。

 夜もおばあちゃんの美味しいご飯を食べる。庭で採れたきゅうりはねじれてぶつぶつしていて、トマトはちょっとだけ皮が固くて緑っぽい。
お味噌はおばあちゃんお手製で少し酸味がある。私は全部おかわりした。

 長い夏の日も、ついにとっぷりと暮れ、昨日祖父に買ってもらった花火をする。バケツを用意して、蚊取り線香に火をつける。背中がリクライニングできる折りたたみの椅子をふたつならべる。祖父は自分で作った縁台を運んできて座り、うちわであたりをあおっている。わぁわぁと騒ぐ私たちに、おばあちゃんは綺麗な色やねとか、すぐ終わってしもたね、とかいちいち感想を言ってくれる。
 叔母は、線香花火を誰が一番長く灯していられるか、というささやかな競争に参加してくれた。勝者は叔母だった。

 花火を全部バケツに突っ込むと、ふっと静けさと暗闇が降りてきた。

りりりと鳴く虫の声。
手や服についた花火の煙の余韻。
静けさすらまとった涼しい夜の空気。

 私はリクライニングの椅子に寝っ転がった。じり、と地面から軋む音が聞こえる。小さな頃から視力が悪かった私を心配した祖父母は、毎晩星を見ることを私に勧めてくれていた。
 なんども北斗七星を教えてもらったけれど、よく見えなかったり覚えられなかったりして、なかなか自分で探すことができなかった。今でも自分では見つけられないままだ。

 寝っ転がったまま、懐中電灯の灯りを空に向け、この光はいつか宇宙に届く?と祖父に尋ねる。

 その答えがなんであったか、いまでは記憶から取り出すことができない。

 縁台からそのまま部屋に入り、私たちは寝る支度をする。
騒いでいた私たちがおとなしく布団に横たわると、おばあちゃんがかちかちと電気の紐を引っ張り電気を消す。あつないか(暑くないか)と言いながら、そっと襖を開けて網戸から風が入るようにしてくれる。
 窓の外はほんのり明るい。月が出ている。

カエルと鈴虫の鳴き声。
網戸から入る微かな風の立てる音。
昼間、浮き輪で琵琶湖に浮かんでいた時の、あのゆらゆらとした浮遊感。

明日また、同じ日が続けばいいのに。
私は心から願う。
来年もずっと、その先もずっと。

 いまではもう、手が届かなくなった記憶の底にあるそれらを、私は夏が来るたびに思い出す。遠くに見えて、そしてもう手の中には戻らないもの。つかんだり、抱えたりすることができないもの。少しずつその輪郭から現実感が失われ、夢の中のできごとのように朧げに変わるもの。 

 人生のどこかに戻ることができるなら、私はこの時を選ぶだろう。
戻れないことがわかっていてこその、儚い望みではあるが、それがわずかながらも私の記憶の奥底に常に眠っていることに、小さな安堵を感じることもできる。まだそれはここにある。

 ずっと続くものはない。変わらないものも、終わらないものも、ない。
そうでなければ、私は琵琶湖で泳いだりおにぎりを頬張ったりできないし、こうしてあの日のことを、匂いとともに思い出すこともできない。

 もうないけれど、まだあるもの。
 琵琶湖で過ごした夏が戻ってくることはないけれど、それはずっと私の中にある。

 あの時、私の手元から放たれた懐中電灯の光は、宇宙のどこかに届いたのだろうか。後戻りもせずに、ずっと前に進みつづけているのだろうか。
 私はこれからもずっと歩み続けていくのだろうか。それでもなお、この夏の記憶は残っているだろうか。

 ずっと続くものはない。
 変わらないものも、終わらないものも、ないのだけれど。



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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
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あの夏の日を思い出しつつ、とても喜びます。
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