ほぼ1年ぶり
去年の10月、義母を見送ってから投稿していなかった。
何度か文を書いたり絵を描いたりしてはみたが、なんかしっくりこなかったので結局全部削除した。書く気もあるし書きたいこともあるけど、文にするとなんか違和感が漂いまくるので、むう~なんか違う~、と思って消す。を繰り返しておりました。
この間、よく考えていたのが、性って何や!ということだった。自分が女だというのがどうにも気色悪くて、イライラして、ともかく脱皮したかった。そのあたりの心境をつらつら書いたりしていたのだが、こんなん子どもが万一ネットで目にして「これ、うちのおかんとちゃうか。」とバレたりしたらそれこそ子どもの方が気色悪くてイライラするわいな。夫や老母が万一それを読んだりしたらそらもう、暴れまくるぞ。何せ、家族のあれこれ好きなように書きまくっとるし。
そう思って、noteこわい、ネット社会こわい、と記事を公開前に削除。そんなこんなしているうちに1年近くたっていた。
現在の私はというと、身内の看取りと思考行動の停止モードから抜け出し、少しずつ生活全体を変えていこうとしている真っ只中。職場も地元を離れ、あえて遠くの町で仕事を見つけた。そして、いよいよ新しい勉強を始めることにした。去年の今頃も心理学のとりそこねていた単位をゲットすべく、放送大学の科目履修生がコスト的にもよいのでは、と真剣に検討したのだけど、安価とはいえ通信大学は金銭的なハードルが高い。懐具合と相談のうえ、大学の学びはもう数年先まで寝かせることにした。しかし、なんか猛烈に勉強したいのだ。今しかないぐらいの勢いで新しい知識を取り込みたくて仕方ない。で、自分って何がしたかったっけ?何が本当は好きやねん?と自問自答した。親を次々見送り、子どもも全員巣立った今。そうやん、今しかないって。親のことも子どものこともいったん落ち着いた間隙をぬって、本当に自分のやりたかったことやれるのは、今から2、3年じゃないか?と思いいたった。それがちょうど今年の正月だった。自分がやりたかったこと・・・「絵や!」そう気づいたとたん、頭の中にファンファーレが鳴り響きイルミネーションが一斉に点灯したような感覚になった。
絵を描くのはずっと好きで、美大に行きたいなあ、将来は絵に関する仕事がいいなあ、と漠然と考えていたが、いずれも縁がなかった。へたくそなイラストまがいを描いたり4コマ漫画描いたりして仲間うちで見せたりすることはあったけど、あくまでもアマチュアの駄絵でしかなく、本職の方を遠くからまぶしく見つめる立場だった。大人になった今、自分がそちら側に行く勉強を始めるとか、チリほども考えたことがなかった。
父もそうだった。器用で運動もできて、歌もうまかった父は、絵もけっこうな腕前だった。美術の先生が家にまで来て「息子さんを芸大に進ませてほしい」と言ったほどだったが、絵で飯は食えん、と祖父母が却下した。父はサラリーマン定年後、油絵を始めた。60歳を過ぎてようやく本当にやりたかったことに趣味として向き合った。
そうやった、絵の勉強したかったんやー!父は60歳、わいは54歳からのスタートや!
絵の勉強となると、芸大か。専門学校か。調べてみるが、放送大学ですら断念する経済事情なのに、そんなん途方もない。やっぱり学費がな~・・・と思った時にはたと思い出した。隣県の工業高校に、社会人対象の夜間コースがあったよな?・・・・ネットで探すと、授業料は月2000円の超お手頃価格だ。出願期間も迫っている。迷っている暇はない。ここに行くぞ!
そんな時、たまたまつけたテレビで
NHK-BSプレミアムの再放送「中国秘境謎の旅 天空チベット タンカ絵師の郷」
https://www.nhk.jp/p/ts/YV35YY2QN4/episode/te/9YN9N65KQP/
をやっていた。中国チベット高原の貧困地区。チベット仏教の仏画は秘伝中の秘伝だったけど、貧困ゆえに若者の職がない村の存続を憂い、転生活仏リンポチェ師が自ら村の若者にタンカ絵の伝承所を開き、絵の技術を習得させる、というドキュメンタリーだった。タンカ絵は高値で売れるようになり、伝承所で学んだ若い絵師も独立。チベット文化の継承と貧困問題の両方を慎重に解決していく様が美しい村の風景や素朴でひたむきな若者の姿を通して描かれていた。
チベット仏教好きとして見始めたが、伝承所で5年修行する若い絵師たちにごっとり感情移入してしまった。タンカを描けるようになるために、突き詰めるほど、精神をすり減らす。ギリギリまで追い込んで仏画に向き合ううちに時が過ぎいつの間にか大人にになっていく。時代が時代なら秘伝の仏画を習得するのは認められた僧だけだっただろうに、一般の貧困家庭の子どもたちが寮生活をしながら一日絵を習うことができる。こう言ったら違うかもしれないけど、なんか羨ましくてドキドキした。
そんなミーハー心が沸き立った状態で工業高校に出願。んで、聴講生として春から女子高生に。40年越しで絵の勉強の夢が実現し、浮かれながら夜な夜な夜間高校に通っている。