南天荘日記帳

昔、扱いにくい変な子ども。今、やや難ありクセありひねもの。

南天荘日記帳

昔、扱いにくい変な子ども。今、やや難ありクセありひねもの。

最近の記事

鬱になりに候

もともと不安強め、感覚過敏気味、共感性高しでまあまあ傾向はあった。 無理にムリを丸めて固めてがっちがちに積み上げて、ゴリンゴリンな毎日を送っていたら、ある日いきなりだめになった。 仕事ができなくなって、休みも使い切って、にっちもさっちもいかなくなりいよいよ心療内科を受診し、診断書をもらった。 そのまま仕事は退職となり、大阪に敗走。 天井のシミを凝視し、時間が全く進まず、湿った土嚢の砂が重く頭のなかにたまっていくような感覚に苦しんでいるうちに季節が変わっていた。 ちょっと体が動

    • ほぼ1年ぶり

      去年の10月、義母を見送ってから投稿していなかった。 何度か文を書いたり絵を描いたりしてはみたが、なんかしっくりこなかったので結局全部削除した。書く気もあるし書きたいこともあるけど、文にするとなんか違和感が漂いまくるので、むう~なんか違う~、と思って消す。を繰り返しておりました。 この間、よく考えていたのが、性って何や!ということだった。自分が女だというのがどうにも気色悪くて、イライラして、ともかく脱皮したかった。そのあたりの心境をつらつら書いたりしていたのだが、こんなん子

      • 義母の死

        義母が亡くなった。余命1か月の宣告から3週間後だった。体も心も丈夫で、がんではあったがこの夏までふつうに元気だった。生きざま、死にざまは人それぞれで、義母に関しては、「本当によくがんばったね!」と誰もがうなるような、よい最期だったと思う。 実父に続き、義母の臨終にもまた間に合わなかった。ほんとに、あっという間に亡くなってしまった。ありがとう、縁あって家族になって、私はおかあさんのことを心から誇りに思ってるよ、と伝えたかったけど、また私は間に合わなかった。 義母は女の苦労を

        • もう一人の母

          夫の母。私の信頼する女性。 破綻夫婦だが、夫の母のことはもしかして前世で家族だったのでは、と本気で思うほど信頼している。 ものすごい苦労されてきた人で、これぞ昭和の家庭、姑にいびられ夫に殴られ、ひたすら家庭のためフルで働き家事も手を抜かず。中学を卒業してから一切休まず働きづめの一生だった。自分は二の次、家族が第一。心も体も強い人だった。 その母が余命わずかとなった。実父に続き、看取りの時が近づいている。父の時、私は死についてあまりにも無知だった。何もできないうちに見送っ

          自然と自分と

          猫の話に続く。 拾い猫を家猫にして以来、ずっと強迫観念的に「私のせいで早死にさせてしまう」と思って恐れていた。 動物を飼うのは初めてではない。子どもの頃から生き物が大好きで、親に飼わせてほしいと頼んでは怒られるの繰り返しだったが、しまいに親も根負けしてウサギを飼うのを許してくれた。そのウサギに始まり、ミニウサギ、近所のおばちゃんがくれたセキセイインコのひな、シジュウカラ、ハムスター、縁日で爆釣されうちに引き取られた百匹近い金魚、ミドリガメ、ひよこ、そして最後が犬だった。ど

          自然と自分と

          猫を見る 自分の間違いを知る

          長きにわたる無職生活に終わりを告げ、今月から有期の仕事に行きだした。秋の訪れを感じつつ。 猫の病気の話を先日書いたが、なんだかこのひと月は、荒れに荒れた天候もあいまって、私もおかしな体調だった。謎の発疹が全身に出て、でこぼこのぶつぶつが大きな塊になり、分厚く腫れあがり、体全体が赤い世界地図のようになった。体温が上がると赤い大陸の部分が猛烈にかゆいが、ぶつぶつ自体はかゆくない。最初はチャドクガにやられたか、と思ったが、皮膚科に行くと「薬疹?ウィルス性発疹?」ということで、血液

          猫を見る 自分の間違いを知る

          いくつになっても怖いこと

          父の死を経て相当落ち込んで、やっと復活した夏。ぼちぼちとバイトを入れだす夏。 コロナに猛暑にオリンピックに、はちゃめちゃな8月。初盆だけどコロナ感染大爆発で帰省を見送った。と同時に九州は異例の長雨大雨の大災害発生。 浸水想定地域に住んでおり、豪雨になれば即、外出危険。垂直避難するしかないけど垂直の先がない平屋でじっと息をひそめもう1週間以上になる。いざとなったら迷わず避難だ。去年の台風の時も事前に車で遠くに逃げた。国交省のHPを見ながら、上流の河川水位を何度もチェックし、

          いくつになっても怖いこと

          無職なので大腸内視鏡検査の予約をする

          せっかく働いていないので、24年ぶりの大腸カメラをついに決意する。 おなかの弱さには自信がある。子どもの頃からいっつもおなか痛いおなか痛い言うてるから親もしだいに「あ、そう」と相手しなくなった。病院行ってもビオフェルミン出されるだけ。昼ぐらいから腹が張り出し、夕方には肩まで痛くなって息ができなくなるのはみんな同じと思っていた。私の便にまつわるエトセトラを話そうものなら、noteの投稿だけで「はじめの一歩」を超えるボリュームになるわ。 24年前、どうにも胃が痛くて、当時出産

          無職なので大腸内視鏡検査の予約をする

          無職なので放送大学の募集要項を取り寄せる

          バイト辞めて5か月。父の死にうろたえ悲しみ抜け殻になりやっと気持ちが安定してきたこの頃。実家との長距離往復もいったん落ち着いてきたので、そろそろさすがに労働して対価を得ねばと、久々にハローワークインターネットサービス求人情報検索をひたすら検索してスクロールしまくる。暇なので全ページ余裕でくまなく見る。 用事がひとつもないカレンダー。こんなん人生初やないか。あの暗黒自堕落学生時代でさえ、出かけなあかん用事ひとつふたつあったぞ。来月、県民一斉大清掃と地区の盆行事があるくらいじゃ

          無職なので放送大学の募集要項を取り寄せる

          母について書きなぐる

          もともと、お嬢様気質で人からあれこれ言われるのが嫌いな母。掃除や片付けが苦手ですぐに家をゴミ屋敷然にしてしまう。戦前生まれで幼時期に猛烈に飢えた経験ゆえか食べ物に対する執着が凄まじい。朝起きてから夜寝るまで食べることで頭がいっぱい。処理できない量の食材をためこんではせっせとこさえて日々過ごす。食べることも作ることも食べさせることも好きだけど、ともかく食べることが一番好き。 喧嘩っ早い。誰に対しても上から目線。頭で考えるより先に口が出る。N〇〇の人をひどく罵って追い返した後、

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          無職なのでお遍路に行ってみる

          父の死から4か月。以来、月2のペースで九州~関西間を車で帰省している。 老母の様子伺いと亡父関係の所用などをトロトロとすませる。1週間弱、母と過ごすとさすがにお互いイライラしてくる。80オーバーのわがまま乙女と50オーバーのおっさんみたいな娘。気が合うはずがない。 まあ、どこの母娘もけっこうな確執があると思う。私もご多分に漏れずで、長年、母の価値観と干渉と支配の檻の中でウホウホとゴリラのようにガッシャンガッシャン鉄柵を破ろうとしてきた。自分の親ばっかりは他と比べるものさし

          無職なのでお遍路に行ってみる

          無職なので家に帰る

          無職だから家に帰られる、か。 父の百か日をやる、緊急事態下なので内々でやる、と母から連絡あり。ご近所の老フレンズが7人寄るという。私はさすがにきょうび不要不急の県外への移動は控えろ言われてんのに帰られへん、と断ったが、あれ、帰れないことないか、わし無職やん、子どももおらんし、我が親の百か日やのに。例によってずっと車で行けばいいか、と思い直して帰ることにいたしました。ちょうど、ワクチン予約のあれやこれやで80歳以上の高齢者界隈が混乱を極めていることもあり、その辺の手伝いなども

          無職なので家に帰る

          生きているもんのつとめ

          何のために生きるのか、と青臭いことを日がな一日考える。父親が死んで3か月になる。 がん死なので、家族にも心の準備はできていた。こうきたらこうでる、こんなふうになったらこうやってかわす、と想定されるパターンをいくつも頭の中で予行演習していた。でも実際に父が死ぬと、想像していた以上にショックを受け、めちゃくちゃつらかった。心はぐねぐねになり、感情を制御できない。身近な人の死別でうつになる人は1割ぐらいおられるそうで、打たれ弱さに定評のある私ならばこそ、ガックンガックンにやられて

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          それから~父死す12~

          2か月たった。自分で思った以上に気持ちが落ちてしまい、仕事を探す気力もなく、何も深く考えきれない。なかなかうつろである。家の中でじーっとしているうちに一日一日過ぎていく。情けないなあ、普通の人は親が死んでも子どもがいなくなってもちゃんと働いているのになあ。些細ないっこいっこに心が揺らいで泣いてばっかりで、やっぱり自分は弱いなあ。だめだなあ。などと悲観して卑下して一日が終わる。死ぬってなんやろう、生きるってなんやろう、と暇さえあったら考えている。死んだらどうなるのか誰も知ってい

          それから~父死す12~

          間に合わず~父死す11~

          さて、冷えてきたし風呂でも入って寝ようかと思ったその時、母の携帯が鳴った。珍しく2コールくらいで母はすばやく電話に出た。病院からだ。「もしもし」と言ってすぐ、母は「こわい、あんた聞いて」と電話を私によこした。 「娘です。お世話になってます。」と電話を替わると、当直の看護師さんが早口かつ冷静に「ちょっと緊急のお知らせでお電話しました。お父様がせん妄でちょっとパニックになられまして。」私は心臓がバクバクしながら次の言葉が「暴れられたのでちょっと拘束します、意識を落とす点滴も入れ

          間に合わず~父死す11~

          入院、転院~父死す10~

          父の入院から4日目。かかりつけ医に電話し、父から言付かった質問をしてみた。 「水を抜いてもまた一日でたまったんですか。お父さんのお気持ちはわかりますが、緩和ケアにうつるのが僕もええと思う。入院する時は僕も、いったん水抜いたらまた元気になって家で過ごせるやろと思ったんやけど、その状態やと家に帰ってきたらその場で窒息死になるかもしれません。窒息死は苦しいからご家族のショックが大きいと思う。緩和ケアでうまいこと管理してもらう方が、何よりお父さんが一番苦しまなくてよろしいですよ。」

          入院、転院~父死す10~