鬱になりに候
もともと不安強め、感覚過敏気味、共感性高しでまあまあ傾向はあった。
無理にムリを丸めて固めてがっちがちに積み上げて、ゴリンゴリンな毎日を送っていたら、ある日いきなりだめになった。
仕事ができなくなって、休みも使い切って、にっちもさっちもいかなくなりいよいよ心療内科を受診し、診断書をもらった。
そのまま仕事は退職となり、大阪に敗走。
天井のシミを凝視し、時間が全く進まず、湿った土嚢の砂が重く頭のなかにたまっていくような感覚に苦しんでいるうちに季節が変わっていた。
ちょっと体が動かせるようになり、頭のモヤモヤも取れてきた。
放置していた九州の住処を解約し、突貫で引っ越しを済ませた。
夜逃げのように去ってしまったことよ。
20年の九州の暮らしはとても濃厚で、人生で最も充実していた。
精神が常態なら、記憶のひだのあれこれを思い返しては感慨にふけり、SNSなんぞに写真を添えて思いの丈を長文でしたためたであろうし、なんなら動画でも作る勢いで涙に濡れながら九州離れ難しと嘆いたことであろう。
でも、鬱なので、目の前のことをこなすのに精いっぱいで我がの波打つ感情などに構ってられんかった。
こうでもなければ、大阪に戻ってくることはなかった。九州で足場を固め、骨を埋めるつもりだった。
老母もすっかり弱り、二本の杖をついてノルディックのクロスカントリーの登り坂のようにヒイヒイいいながら動いている。独居生活もぼちぼち潮時である。
病人の私と老母でようやく人間一人ぶんの生活。
そして実家の2階を片づけて、こどもべやおばさんとなる。
あれよあれよと大阪での暮らしが始まった令和6年秋の陣。