ARTISTS' FAIR KYOTO
今日は研修会のスタッフを終えた帰りに、アーティストフェアに行ってきた。
アートが何かって良くわからないけど、二つの視点があるように感じた。一つはアーティスト側のことで、考えや見ている世界を社会に問うたり、様々な感情を表出する行為であったり、ある種のカタルシス的な面はあるのだろう。もう一つは見る側、すなわち、僕。その作品を通して、僕が何を感じるのか、どのような問いをもつのか、あるいは、気づくのか。
アーティストは、作品を通して、生きる死ぬや、生きづらさや幸せ、相反するように見えて表裏一体のものの狭間で揺れ動く心情であったり、処理できない感情を作品を通して、昇華させている面もあるんだと感じた。
その作品を通して、僕に問いとして投げかけている、ように感じた。見た者が何を感じるのか。ある意味で、見る者が試されている。アートは格闘技だな。どこかで、見るものに委ねる、というプロセスが発生するのかもしれない。
アートは、作者の問いかけを通して、自己との対話を生み出し、内省を促進させる面があるする。そうすると、坊主も、アートになるべきだ、と思った。坊主という作品、メディア。死を想起させ、死について考える、自己との対話をはじめる、糸口となる作品でありたい。
アーティストは悩んでる、よっぽど坊主よりも。そこに美しさを感じるし、ちょっと近寄りがたい。自分の薄さがバレそうだから。
あと、こういう場になれていないから、どう見て良いのか、場に馴染むまで時間がかかった。作品から意味を取ろうとするし、一方で、そこまで意味ないのに、こっちであれこれ考えてしまったら、それこそアーティストの思うつぼだと想い、誰でもない誰かと一人戦っている時間があった。アートは格闘技だな。