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子育てにびくびくしている鬱母だけど、自分のことを「たからもの」だと言える子に育てたい

 びくびくしてます。
 子育てに、毎日びくびくしてます。

 私が子どもを産んだのは、二十一歳の時。専門を卒業する間際、俳優事務所への所属が決まっていました。
 しかし妊娠して、成り行きで結婚。所属は謝罪してお断りしました。どう考えても、まだ自分が〈こども〉でした。

〈こども〉か〈おとな〉かの定義は様々ありますが、わたしは、自分を良く知り、自分が快適に生きる努力を出来る人間が〈おとな〉だと思っています。自分をなるたけコントロールできる人。
 浅はかな感情に任せて他人にかける迷惑と、おかげさまの精神で他人にかける迷惑も、〈こども〉と〈おとな〉に似てると思っています。

 この場では、単に年齢の高低(二十歳が成人ですね)で人間を指す時に〈子ども〉〈大人〉
 精神の熟練度に対して〈こども〉〈おとな〉と表記しようと思います。
 こども大人は、世の中にたくさんいますね。おとな子どもも、たくさんいます。

 おとなとかこどもとかゲシュタルト崩壊してきました。

 さて二十一で子どもを産んだ私は、二年東京に住み、その後、地元に引っ越して三年、離婚して実家に帰り四年が経ちました。
 子どもは今年三年生、私は、おやまぁ三十路です。イェイ。

 前置きが長くなってしまいました。
 毎日びくびくして、もうすぐ九年です。

 自己紹介をしたりしなかったりしてるのですが、私はADHDで双極性障害、精神障害者手帳を振りかざしながら生きています(同行すると映画が1000円で見れます)。

 出産した二十一歳の時は、自分がADHDだなんて知りませんでした。つまり〈こども〉でした。
自分のことを、ただ、片付けと段取りが下手で忘れっぽい、遅刻常習犯のダメ女だと思ってました。

 生き辛いこと、この上なかったです。
 表面上では、明るく、人の話を聞かずよく喋るお調子者で通ってましたが(通ってたはず)、自尊心など底辺で、死にたくて堪りませんでした。

 自分が生きるだけでも必死な〈こども〉が〈子ども〉を育てるのは本当に困難でした。

 オムツは限界まで変えられず、いつもおしっこでパンパン。部屋はぐちゃぐちゃ。
 お酒が我慢できないので、妊娠中は二日に一缶、授乳中は飲んだあと二十四時間は母乳を捨ててミルクにするというルールを決め、ギリギリ、自分を殺さないラインを保ってました。出産後は煙草も吸ってました。

 離乳食がレトルトな自分を責めて(今は、レトルトの方が栄養あるし、むしろ赤ちゃんこそどんどん使うべきと思ってます)泣く子どもの横でいのちの電話をかけていました。

 幸いなことに、夫が〈おとな〉に近かったので、めちゃくちゃ助けてもらいました。
 離婚後も子どものパパとして仲良くしてくれて、本当に感謝しています。

 無邪気に笑う子どもに、びくびくしていました。
 こんなママでごめんなさい。家事もできず、オムツも変えられず、着替えもずぼらで、いつも死にたい。
 こんな私の元に産んでしまってごめんなさい、とびくびくしながら、それでも「ママ」と呼んでくれる子どもに対して、いつも申し訳なく思っていました。

 年々、びくびくの種類は変わっていきます。
 子どもは、何も覚えていない赤ちゃんから、記憶が残る年齢に育っていきます。

 離婚の時、子どもは年中さんでした。
「ママとパパの喧嘩を止められなかったぼくのせいだ」と言われて、絶望しました。
 違うよ、違うよ、ママとパパは、離れた方が仲良く出来ることに気づいたんだよ。三人で暮らせなくてごめんね。何度も、びくびくしながら、謝って、説明しました。
 きっと、一生残る傷を付けてしまった。本人は「納得した」と言ってくれたけれど、本当にそう思っているかは分かりません。

 ある時、パパに彼女が出来ました(つい最近、再婚しました。おめでとう)。
「もう絶対に、三人では暮らせないんだね」と泣いていた数日がありました。彼の、最後の希望を絶ってしまったんだと思います。

 そうだよ。と言いました。小学生になった子どもには、下手に誤魔化すより現実に向き合ってもらおう、気の済むまで泣いてもらおう、と思いました。その代わり、ずっと抱きしめていました。
 それが、正解だったのかわかりません。だから、びくびくしていました。

 私にも、彼女が出来ました。
 今では、ほとんど配偶者のような関係になった同居人です。
 悩んだ末、「聞いて欲しい話がある」と、二年生だった子どもに切り出しました。
「ママと◯◯ちゃんは、女同士だけど、恋人なんだ。どう思う? 変かな?」

 子どもはまず「びっくりした」と、言いました。
 そのあと「でも変じゃないと思う。外国では普通って聞いたことがある」と言ってくれました。私が、びっくりしました。

「でもね、そのことを変だと思う人が、日本にはまだたくさんいて、ママ達のせいで、あなたが変な目で見られたり、いじめられたりするかもしれない。その時は精一杯守るからね。ごめんね」
 有り得ることをきちんと伝えました。
「そんないじわるな人とは戦う」と言ってくれて、また驚きました。子どもはどんどん〈おとな〉になっているんだな、と誇らしく思いました。

 でももちろん、びくびくしていました。
 本当に、言うのが正しかったのか。まだ早かったかもしれない。
 子どもを、おとな子どもにしてしまっているのかもしれない。でも、この話は、話して良かったと思っています。

「パパには◇◇ちゃんがいるのに、ママは一人で可哀想だと思ってた。ママには◯◯ちゃんがいるから幸せなんだね。良かった」
 と、一生忘れられない言葉を、言ってくれたからです。
 嬉しかったことを、一生、伝えていこうと思います。

「そんなこと言った?」とか「恥ずかしい、うるさい」と言われても、一生、伝えていきたいです。
 まぁ、これも正しいか分からないから、その度にびくびくすると思うんですけど。

 さて私は、二十一の時に比べてずいぶん〈おとな〉に近づけたと自負しています。病気を知り、対策をして、自分を許しました。
 死にたい時期もあるけど、それは病気のせいなので怖くありません。じっと寝て、耐えられます。

 それでもやっぱり、日常で、感情的になることはいくらでもあるのです。
 全国のパパママ保護者、誰でもあると思うんですが、聖母のような親もいるんでしょうか?

「うるさい!」「何やってるの、やめて!」と子どもが泣きわめくまで当たってしまい、「もー、うるさいから泣かないで!」と更に責めること、やってしまうのです。

 それをやったある時、子どもが座布団に包まりながら(子どもには赤ちゃんの時からお気に入りの座布団があり、いつも泣く時はそこに包まります)
「僕なんていない方がいいんだ! ママもお友達も、僕のことなんて嫌いなんだ!」
と、言いました。
 離婚以来のショックでした。
 違うよ、怒鳴ってごめんね、ママ機嫌が悪かったんだよ、あなたは悪くないよ。
「ママのたからもの」だよ。

 必死で何度も伝えて、暴れる子どもを抱きしめました。
 また、一生の傷をつけてしまったかもしれない。びくびくどころではありませんでした。
 泣き疲れて寝た子どもを見て、私も自己嫌悪で泣きました。

 ところで、私のびくびくには、ちゃんと理由があります。
 お母さんに、感情的に怒られたこと。おじいちゃんが、理不尽に怒鳴ってきたこと。
 お母さんが「やめて」と手を振り払ってきたこと。お父さんに八つ当たりされたこと。

 本人はすっかり忘れている、大したことじゃない子どもの頃の傷を、しっかり覚えているのです。
 そのせいで精神が病んだとまでは言わないけれど、振り積もっている小さな傷が時々痛んで、時々、憎く思うのです。
 私は子どもに憎まれたくない。だから、びくびくしてます。

 そして、私の子どもだから、私が育てた子どもだから、私のように生きづらくなってしまうかもしれない。
 あんなに辛かった、死にたい毎日を送って欲しくない。幸せに生きていて欲しい。
 どの傷がどう化膿して、どんな病になるかは、今の私には分かりません。
 だから、びくびくしてます。どうか、将来この事で辛くなりませんように。

 さて、言霊、という概念があります。
「いない方がいいんだ」事件から繰り返し繰り返し「あなたはママのたからもの」と伝えています。
何でもない時にも、怒っている時にも、泣いている時にも、言います。

 ある日「僕が悪い! 自分のことなんて大嫌い!」と大泣きしている子どもに「でも、あなたは? ママの?」と聞いたら「たからもの!」と泣きじゃくった声で言った時は、笑ってしまいました。
「いなくなってもいいの?」「だめ!」「ママの?」「たからもの!」と、座布団を鼻水と涙でずぶずぶにしながら言っていました。

 毎日、びくびくしてます。
 何が正解で、何が将来を左右するか分からないから。わたしもまだ〈こども〉でもあるから。

 でも、いつか私を「くそばばあ」という日が来ても、「あなたはくそばばあの?」と聞いたら「たからもの」と答えてくれる日を想像して、びくびくする子育てを、これからもやっていきます。
 やっていくしかないのです。

 一緒にがんばりましょう。
 びくびくしている私と、同じように子育てしている方々へ。

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