約3年前にストレス障害で救急車で運ばれその後1年間ほぼ寝たきりになってから。
ちらっと触れたこともあるのですが、タイトルに書いたようなことがあったのですよ。
接客業・サービス業に相当する職をしていたのですけれど、コロナの流行で時短営業に切り替えたりしても激務が続きましてね。
職場の空気もどんどん悪くなり社員同士の喧嘩も増え始めたり、同僚も心身のバランスを崩して退職したり。
僕自身がいつ頃から心のバランスを崩していたのかきちんとはわからないのですが、コロナ前から良くはなかったと思うんですよね。
会社の上層部の方々がほぼ全員変わって仕事がしづらくなったり、親孝行になるかなぁ安心させられるかなぁと思って正社員になるための社内試験を受け始めたり。
精神的負担が増えていってるところで、コロナ期間に入り更に負担が増えて…ということですね。
またその同僚が10年以上、一緒に同じ仕事をしてた方だったんですよ。
そういう方の代わりという言い方は申し訳ないのですが、どちらかというと気持ちの上で支えであったり助けであったりになる方が僕にはどうしてもいなかったです。
親しくしてる方や力になってくれる方はもちろんいたんですけれど。
そんな中でおそらく疲弊していったのでしょう。
「40歳まで自分の気持ちが変わらなければ退職しよう」と思うようになりました。
自分の居場所が職場に無いような気持ち、もうこの職場で自分のやること・やりたいことが無いという感覚になったんですね。
そんな中で正社員になったんですよ。
なっちゃったんですね。
これがまた皮肉なもので。
これまでずっと主に接客を担当していたのですが、接客業務から離れることになって後輩に仕事の引き継ぎをすることになりまして。
この状況でそこに全力を使っちゃったんですね。
この時期になると睡眠がとれなくなったり、プライベートでも仕事のことしか考えられなくなったり、収入と支出の管理が出来なくなったり、ものが食べられなくなってきたり、本が読めなくなったり、メールも読めなくなって休日に数百通のメールに目を通すような状態になったり、仕事中にどう考えても自分がしたとしか判断出来ない事柄が起こってるのにその記憶が一切無かったり、数字が覚えられなかったり計算が出来なかったり、自分がおかしな状態だと自覚してもすぐにその記憶が無くなったり。
自室のベッドで横になる前に、壁にもたれかかって気を失うようなかたちで座って寝てて、なんかびっくりして目覚めるということが増えてきました。
救急車で運ばれる3ヶ月前くらいがこんな感じでしたかね。
最後の1ヶ月はほぼ寝てないし、ほぼ食べてなかったと思います。
後々、母に聞いたのですが、この時期に10キロ痩せたと僕が言ってたそうです。
全く記憶にないのですが。
あと、父に口臭を指摘された覚えがあります。
胃がボロボロだったんじゃないでしょうか。
そして、当時は全くなんとも思っていなかったですし、無自覚だったのですが、夢なのかうつつなのか、幻覚なのか妄想なのか、見聞きしている世界そのものがよくわからない状態になっていきました。
未だに当時について記憶していることでも実際に起こってた出来事なのか、僕自身の精神状態の影響でそう見えてたり感じてしまっていたりしてただけなのかわかんないことが多くあります。
で。
引き継ぎが完全に終わって、僕は次の仕事に専念することになって。
「他にも色々と教えてあげたいことやフォローしておいてあげたいこと、円滑に仕事が出来るようにお膳立てしておいてあげたいことはあるけれど、それでも限られた時間の中でひとまず出来ること、やれることは終わった」と安堵したというか、肩の荷がおりたというか。
一段落ついた感があったんですよ。
そこでもう心が限界を迎えたんでしょうね。
自室のベッドで横になって、全然眠れなくて。
数時間経ったと思ったら10分程度しか経ってなくて。
なんか自分で息するのやめちゃって、窒息死しかけて、病院送りになりました。
心臓が痛くて痛くて仕方なくて、手足が痺れてきて、徐々に感覚がなくなってきて、意識が薄れていってたのは覚えてます。
後に聞いたところによると叫びながら自室から出てきたそうなのですが、覚えているようなそうでないような。
で、もっというと2日連続で病院送りになってるんですけれど、そのへんもあやふやなんですよね。
覚えている部分と、覚えていない部分と、実際に起こったことなのかそうでないのかがわからない部分があって。
僕の感覚からすると救急車に乗せられたときに、昔お世話になってたカウンセリングの先生が「やり直そうと思ったらアカンのや!」って言ってる声が聞こえてきて(先生の性格や生前に言ってたことから考えると良いことも悪いことも全て踏まえての今であり、人生は地続きなのだから「やり直す」「一度リセットする」ではなく「全部受け止めて生きていく」という考え方や行動をしなきゃダメだよっていうことだと僕は解釈してます) 気がついたら病院で、職場で親しくしてくださっていた方やお世話になったカウンセリングの先生がそこにいて(注:当然、僕にはそう見えていたというだけです)点滴されたりしてるときに「死にたくない」「助かりますか?」と自分が言ってた記憶があります。
そして「死にたくないという気持ちを自分自身が持っている」ということに驚いた覚えもありますね。
色々とありすぎた人生で、死にかけたのも実は2回目で。
幼少期に母に無理心中されかけたことがあり、そのときに首を絞められました。
今でも鮮明にその光景は思い出せるのに、そのときに自分がどんな気持ちだったのかは思い出せません。
母が泣いている姿をずっと見て過ごした幼少期だったかもしれないです。
振り返ってみるとマフラーや体を締め付けるような衣服が極端に苦手だったり、息苦しいのが苦手だったりは幼少期の経験からきてるのかなぁとコロナ期間にマスクをしなくてはならなくなったときに思いました。
マスクをしようとすると手が震えるわ涙が出るわもう無理で無理で。
無理して一度つけてからはなんか大丈夫になったんですけれど。
病院に運ばれてからの話に戻りますと、その後自宅でずっと寝込んでました。
いつのまにか休職中になってまして、親からゆっくり休むように言われまして。
どれくらいのあいだかはっきりしないですが、しばらくのあいだ錯乱状態が続いてましたね。
電話を破壊したり、父親の頭をなにかで殴って流血させたり、なにかの薬を大量に飲んでしまったり、他にも多分やらかしてるんだろうとは思います。
そして、1ヶ月の内3分の2以上は寝込んでいる状態で、知識や記憶は現在のままに感覚や心は幼少期まで戻ってしまうという不思議な経験をしました。
両親への怒りや憎しみ、愛憎、愛情を乞い求める気持ちみたいなものがこの期間に再び目覚め、大爆発しまして当たり散らすにもほどがあるくらい当たり散らしましたね。
僕の生い立ちからすると当然ではあると自分自身では思うのですが。
現在進行形な点はあるのですが、家庭や親子関係に問題がある(あった)者にとっては避けられない問題だと思います。
心の修復をしていく過程で、僕が抱え続けた思いや問題も浮き彫りになってしまった感があります。
ただ「今で良かったな」とは思いましたね。
親が亡くなってからとか、40代、あるいは50代、もっと歳月が流れてからでなく「今」で良かったなと。
自分の今までの人生、両親、そして今までの自分自身と向き合うタイミングなんだろうと、そう感じました。
療養を続けるうちに職場に籍を残していることそのものが精神的に負担になっているということ、復職出来て今までと同じ仕事をしたとしても同じ気持ちで同じように出来るとはとても思えないこと、きちんと健康になりたいという僕自身の意思から退職を選びました。
そこからの約1年はきちんと外出出来るようにですとか、きちんと人と話せるようにといったリハビリ期間だったように感じます。
昔、お世話になっていたカウンセリングセンターに再び通いはじめたり、そのセンターから青年サポートの場を紹介してもらい、様々な魅力や個性を持っている自身の問題と向き合い懸命に前進していこうとしているお友達のみんなと出会えたり。
今現在でもそうですが、今の自分が最優先で解決・改善しなければならない問題は何なのか、何をするのが自分のためになって、何をしない方が良いのか。
考えて過ぎてしまうのが自分の悪い癖で、そのせいでしんどくなってしまうことも多いですが、経験からくる知識や何故かふっと心のなかに浮かんでくる感覚は大体の場合、正解なのでとにかくそれを掴みとって、自分はどうあるべきか、どうすべきか。
今の自分はどういう状態なのか。
何をどうケアするのが良いのか。
解決出来ない問題でも改善は出来るとしたら、それはどういうアプローチになるのか。
出来うるかぎり楽しいこと、やりたいこと、心が向いている方向のために自分自身の力を使いながらも、メンタルケアとこれからの自分の方向性について考えて生活してましたね。
2024年に入ってからは再就職のために活動を始めながらトライアンドエラーによる自分自身のこれから先の人生設計や、自分自身の本心の確認、メンタルケアをし始めたというかたちになると思います。
これもまたリハビリではありますが。
3ヶ月就職活動して、3ヶ月体調を崩して、何が良くて何がダメだったのか、自分はどうしたいのか、何が自分のためなのか、分析していって再び活動再開するといった具合ですね。
そして、今現在、週に2回の事務作業のバイトをしてます。
ただ、出来るかぎり仕事に使う時間や労力を絞って、負担を減らさないとそもそも仕事を続けられないし潰れてしまうと考えて、とにかくまずは少量の仕事から始めてみて、もう一度仕事というものに慣れてみようと思ったのですが、これでもまだなかなかキツイですね。
フルタイムで働けていたのが嘘みたいです。
新しい職場や社員の方々がどうこうというわけでなく「仕事」「職場」というものに対する恐怖心や不安感、緊張がとてつもなく存在してるんですよね。
少し前進したことで前職で経験したことからくるまだ解決出来ていない精神的問題に気づけて、それは良かったんですけれどね。
まずは今の仕事を続けられるだけ続けながら、メンタルケアとトライアンドエラーを続けていこうと考えてます。
そして、きちんと続けていける状態だと確信が持てたなら次のこと、その先のことを考えても良いかなと。
これもまたリハビリですし「生きていく」ということを今、頑張っている感があります。
「生きよう」と思って生きている方はあまりいないと思うのですが、僕は色々あったことによって「生きていこう」と思って今、生きているのでまだ不安定な精神状態や体調でありながらも全てから得るものがあり、糧になるものがあると感じてます。
学びですね。
生きるという勉強。
そう思えば無駄なことや無意味なものは無いでしょう。
結果として今が僕の成長期なのかもしれないです。