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イタリア:デザイン起業家列伝(3/15)

前回のガヴィーナに続いて、本noteではアーティストやデザイナーと協業して詩情ある家具を作ったポルトロノーヴァ社とドリアデ社の事例を取り上げましょう。どれも似たようなデザインのコモディティ化した商品世界とおさらばするには、彼らの取り組みは大変参考になりますー今は、アーティストが創った独創的な家具の内、自分のテイストに合致しそうなモノを選んで自分の部屋のインテリアを演出していく時代でしょう。なお、本noteも拙著『イタリアのデザイン思考とデザイン経営』の第5章に基づいています。

1.ポルトロノーヴァ社

フィレンツェ出身のセルジョ・カッミッリィ(Sergio Cammilli)が、1957年に創設したポルトロノーヴァは、イタリアンデザインを誕生させた家具ブランドの9人の起業家と定期的に会合を開き、インダストリアルデザインの問題について意見交換をしていました―その起業家とは、エラム社のエツィオ・ロンギ、アルフレックス社のアルベルト・ブルツィオ、カッシーナ社のロドリゴ・ロドリゲス、ザノッタ社のアウレリオ・ザノッタ、ノル社のポルタ、スティルウッド社のルオーシ、テクノ社のボルサーニ兄弟、カルテル社のジュリオ・カステッリです。大理石の彫刻家を父に持つフィレンツェ出身のカッミッリィは、ミラノ出身の起業家がインダストリアルデザインに拘るのとは対照的に、トスカーナの職人の手仕事とアートに力点を置くタイプの起業家であり、フィレンツェの美術学校で彫刻を学んだ後は、インテリアのイメージを刷新すべく、椅子・照明・絨毯・絵画・グラスのコップなどの内、眺めたり、触ったりして自分に快や満足を与えてくれるようなものをデザイナーと共に創ろうと考えていました―というのも、偽古典的なものから風変りあるいは華美なものに至るまで、当時の家具に彼は納得しておらず、反発を覚えていたからです。インテリアを文化として捉える彼は、アレッサンドロ・メンディーニを編集長に据え、様相(modo)という雑誌を創刊し、その内容は編集長のメンディーニに一任したのですが、家具産業にとって望ましくない内容の記事も含まれていたため、非難されたこともあったということです。1972年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での展覧会―Italy:the New Domestic Landscape(イタリア:新たな室内の景観)に参画し、70年代にカッミッリィとソットサスが退いた後は、ポルトロノーヴァ研究センター(il Centro Studi Poltronova)にて同社を象徴する家具が保管・展示されています。

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1.1 デザインマネジメント


当初は、フィレンツェ出身のデザイナーらと協業していましたが、良い結果が出ず、1959年にソットサスと知り合って、“味気ない家具(Mobili Grigi)”などを創った頃から会社が軌道に乗り始めたということです(図1の中に、カミッリィが協業したデザイナーの名前が出現しています。)。その後、ガエ・アウレンティ(Gae Aulenti)と協業して、こうもり(pipistrello)という意味の照明ライトや、高級家具職人(エバニスタ)が創るようなロッキング・チェアのスガルスル(sgarsul)―これはナポリ方言でストリート・チルドレンを意味する―、そして自らが発掘しておきながら「ちょっと狂っている」と彼が評するアルキズーム(Archizoom)の建築家らと製品化したサファリ(Safari)や大波(superonda)といったソファーなどを世に出して行きました(図2)。

カミッリィ図2

彼は、建築家のスタジオでデザインされたスケッチを自社に持ち込んで製品化するようなタイプの起業家ではなく、製品化までの試行錯誤をデザイナーらと一緒に行い、“詩情を備えた家具(mobili di poesia)”の実現を目指しました―製品化が認められた家具のプロジェクトは、彼が自宅に置きたいと思うかどうかという観点からふるいにかけられた結果です。これはポップアートの現代美術家のウゴ・ネスポロと協業した際の絵画も同様で、自宅に飾りたいかという観点からふるいにかけられたということです。
彼が他のデザイン起業家と異なる点は、家具の制作をデザイナーのみならず、芸術家にも依頼した点です。つまり、デザイナーよりも芸術家に家具を制作してもらった方がよりインパクトのある家具が出来上がってくるのであり、その結果としてより一層“詩情を備えた家具”を実現することができます。例えば、彫刻家のマリオ・チェローリィ(Mario Ceroli)が制作した天蓋付きベッド(Letto a Baldacchino)や、現代芸術家のジャンニ・ルッフィ(Gianni Ruffi)による人間サイズの鳥の巣ソファー(cova)、そして画家のルーチョ・デル・ペッツォ(Lucio Del Pezzo)によるテーブルと椅子、そしてマックス・エルンスト(Max Ernst)による、鳥かごという意味のベッド(Letto Gabbia)などがそれに該当する(図3)。こうしたインパクトのある家具は、映画監督のロマン・ポランスキー、マルコ・ベロッキオ(*)、ウッディアレンなどによって映画の中で採用され、また、映画の審査委員を務めることが多いジャーナリスト兼作家のナタリア・アスページ(Natalia Aspesi)なども購入したということです。
なお、インタビューの最後に、カステッリィから今日のイタリアのデザインに関する所感を求められたカッミッリィは、「今日、ミラノサローネに行くのは、友人に会うためであって、製品については全く興味がない」と述べています。芸術家と一緒に家具を制作した経験を豊富に持つ彼にとって、今日のミラノサローネに出展される家具は面白みを欠くのでしょう―デザイン起業家のタイプとしては明らかにガヴィーナに似ており、過激派と言ってよいでしょう。

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2.ドリアデ社

建築家であるエンリコ・アストリ(Enrico Astori)と、妹でデザイン担当のアントニア・アストリ(Antonia Astori)が1968年に創業したドリアデの企業アイデンティティは、アストリの証言によると、ガヴィーナ社と同様に、工場というよりも美学上の実験ラボであり、デザイン経営を実践する自分のような起業家は、時代精神の興味深い探求を行ってそれを表現し得るようなアーティストを、国籍を問わず選び出すギャラリーのオーナーや、キュレーターに似ているということです。ドリアデ社は、1994年にミラノのマンツォーニ通りにショールームを開設し、2015年にはミラノ中心部のボルゴーニャ通りに500㎡のブティックを開くなど、美学上の実験ラボとして取り組んできたプロジェクトの展示に余念がありません。なお、ドリアデの商品カタログは、美学上の種々の様式美が混在しているため、折衷主義(eclettismo)的なものとなっています。

2.1 デザインマネジメント

ドリアデの第一期(1970年代)を支えたデザイナーは、アストリの妹であるアントニア(Antonia)、エンツォ・マーリ(Enzo Mari) 、ナンダ・ヴィゴ(Nanda Vigo)、デパス(De Pas)、ドルビーノ(D'Urbino)、ロマッツィ(Lomazzi)、アレッサンドロ・メンディーニ(Alessandro Mendini)、パオロ・デガネッロ(Paolo Deganello)・アキーレ・カスティリアーニ兄弟(Achille Castigliani)、マッシモ・モロッツィ(Massimo Morozzi)らでした。第二期(1980年代)は、フィリップ・スタルク(Philippe Starck)―フランス家具の良き伝統を受け継ぎつつ、将来の家具を考えているスタルクをアストリは高く評価する―、オスカー・トゥスケ(Oscar Tusquets)、ロン・アラド(Ron Arad)、伊藤豊雄(Toyo Ito)、エリオット・リットマン(Elliott Littmann)、ロス・ラブグローブ(Ross Lovegrove)などで、第三期(2000年~)は、深澤直人、吉岡徳仁、瀬島和代などの日本人デザイナーですが、デザイン経営を実践する企業は、協業するデザイナー集団を変えることで、その企業アイデンティティを何度でも刷新・再生することができるという点がポイントです(図4が彼の共起ネットワーク図です)
)。起業家の共起ネットワーク図の一般的傾向として、デザイン・プロジェクトを成功に導いてくれた少数のデザイナーの名前と家具の名前がセットで現れることが多いのです、ドリアデでは、協業したデザイナーの数が非常に多いため、アントニア・アストリ、スタルク、シーペック、伊藤、アラド、マーリなどがその共起ネットワーク図上に表示され、また中国やアジアといった用語から、中国を含むアジア市場を重視していることが分かります。

図4doriade


彼は、才能あるデザイナーと協業することで詩的な言語活動に関する“バベルの塔”を建てたいとも述べています。ネオバロックの精神を体現したボレク・シーペック(Bořek Šípek)から、ミニマリズムを感じさせる伊藤豊雄氏、また純粋なフォルムを旨とするアントニア・アストリから、官能性を感じさせるロン・アラド(Ron Arad)などをアストリは挙げていますが、美学上の種々の様式美に応じて様々なかたちがインダストリアル・アートとして結実する、というのが詩的な言語活動に関するバベルの塔を建てるということの意味です―モローソ社のnoteで採り上げた、マッシモ・イオサ・ギーニ(Massimo Iosa Ghini)が提唱する新たな空力デザインのボリディズモ(Bolidismo)も、そういったバベルの塔の構成要素とみなすことができるでしょう。ドリアデのプロジェクトは、妹のアントニアがデザインしたキャビンなどの組み合わせ可能な収納家具(法則)と、家具デザイナーの言語活動の探求に基づく個々の家具のコレクション(情緒)との弁証法から開始されたということですが、デザイン経営では、ただ単にデザイン・プロジェクトを複数走らせればよいというのではなく、それに先立って才能あるデザイナーの発掘を行うことが決定的に重要であるため、経営者に美学・美術史の教養が求められます
また、アストリは、中国やインドといった市場で才能あるデザイナーの創造性(クリエイティビティ)が噴出する可能性があるので、そういったデザイナーを見出して協業することを通じて当該市場の開拓を行いたい、とも述べています。そして世界のトレンドは「快適なブルジョワジーの住居」に向かっており、世界中を旅行しながらトレンドを把握するのが起業家の任務であると指摘しています。

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3.終わりに

デザイン経営では、トップダウンでデザイナーとタッグを組むことが必要であることが両社の事例からわかります(サムスン電子もトップダウンでデザイン経営を進めています。)。そして才能あるアーティストやデザイナーを発掘するためには、経営者は美学・美術史を学ばなければなりません(そうることで、たとえばG.アウレンティがデザインした家具が、進化したイタリアのリバティ様式であることも分るでしょう)。あるいは、デザインCEOとしての主任デザイナーに大きな権限を持たせることが必要です。またアストリが述べているように、世界中を旅行して、将来のライフスタイルを潜在トレンドから予感しつつ、有能なデザイナーを中国やインド市場で発掘するようなことにも取り組んでいきたいところです。

(*)最近撮ったものとしては、”良い夢を見てね(Fai bei sogni)[邦題:甘き人生]”などがあります(自殺防止映画)。

画像出典:冒頭の図:左https://bit.ly/31KMA4s, 右https://bit.ly/3D8LE80、図2: https://bit.ly/3wCjy2m, https://bit.ly/3Hi44Wn, https://bit.ly/3wCCrlX, https://bit.ly/3Dcp2TQ、図3: https://bit.ly/3kuoNMN, https://bit.ly/30mnRmM, https://bit.ly/3wEc66U, https://bit.ly/3FdWFpb、図4:上 https://bit.ly/3n7GCTy, 下https://bit.ly/3F6nCuT、図5:https://bit.ly/3F6myan

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