イタリアンファッションの未来-ファストファッションへの対抗-
(本noteは、感性工学特集号Vol.20(2)pp.71-75[2022/06/30]の拙稿に基づくものです)。
1980年代に世界を制したイタリアンファッションですが、1990年代になると各種のラグジュアリーブランド及びファストファッションの台頭によってヘゲモニーを失いました。こういった事態に対処するために2000年代以降の新進デザイナーが採っている対抗策を示したものが冒頭の図です。伝統的にミラノのスタイリスト(ファッションデザイナー)は、自らはデザイン業務に特化する一方で、共同経営者(アルマーニの場合はS.ガレオッティ)に財務・販売面を任せる体制を取ってきたけれども、そういったスタイリストの時代は終わり、自らはクリエイティブ・ディレクターとして部下のスタイリストらに新たなファッションのコンセプトをもっぱら提示するシンボリック・アナリストのような役目を果たすようになりましたた(典型的にはクリツィア)。2010年代以降、ファストファッションに対抗するために、新進デザイナー(クリエイティブ・ディレクター)が参照しているのは、ミラノの既製服の世界ではなくローマの高級仕立衣服(アルタ・モーダ)の伝統、W.アルビーニ、建築の観点から衣服のかたちへ介入するG.F.フェレ、美術・文学史、であり、以下でそれらをまとめてみましょう。
1 仕立職人の技(伝統)への回帰‐ローマの高級仕立服(アルタ・モーダ)
高級仕立服(アルタ・モーダ)を手掛けるアトリエ(メゾン)では、デザイナーの描くスケッチ原画(デザイン)は、メモ(忘備録)程度のものとして参照されるに過ぎず、仕立職人の一族による縫製作業の結果として一点モノのドレスが仕上げられました。生地に拘るファッションデザイナーのドリス・ヴァン・ノッテンは,「ポイント刺繍をインドの刺繍職人に依頼することで,一度着たら飽きるファストファッションの服とは違うようなオンリーワンの要素がある服作りを行っている」と述べていますが、アルタ・モーダも同様に、スケッチ原画通りに仕上げないことが、様々なバリエーションを持った一点モノのドレスの制作を可能にすると同時に、他のアトリエとの差別化及び複製防止にも繋がったのでした(仕立職人らの縫製作業によって,多品種少量製品のファストファッションを凌ぐような、より一層のオンリーワン製品が制作されます。)。なお、アルタ・モーダでは、各アトリエ(メゾン)がデザイナーを共有したり、スケッチ原画をフランスから購入するといったことも行われ、他方、各アトリエ内部でアーティストや知識人との交流を通じてデザインプロジェクトを走らせる文化(デザイン文化)は存在しませんでした。アルタ・モーダ時代の無名のデザイナーらを発掘したB.G.Aragnoによると、ローマのアルタ・モーダで起きたことは、ファッションのスペクタクル化(spettacolarizzazione)であり、これはパリと著しい対照を為すものでした(パリには,その代わりイタリアにはないファッションショーの文化があった)。ファッションのスペクタクル(見世物)化とは、街全体が映画の舞台セットであるようなローマで、ティベル川沿いのハリウッドであるチネチッタ(映画撮影所)から出てきた俳優・女優が浮き名を流している様子が雑誌・写真・報道記事を通じて全世界に配信される一方で、映画に出てくる役者の身振りやファッションを公衆が模倣するということです―というのも,そういった役者らは,映画の中で普通の恰好をしており,公衆が親近感を持つからです。
ここで問われているのは,そもそも人は何のために服を着るのかということでしょう。イタリアンファッションは、19世紀のオペラの舞台衣装の伝統を受け継いでおり、これは元々バロック期に有限から無限への世界像の転換(コペルニクス的転換)が起きた結果、美の法則を自ら再定義しつつ、自らの才知をもって隠喩を駆使し、驚異に満ちたダイナミックな新世界を創造するミッションが人間に課せられたことに端を発しています。普通の生活世界を演劇的な舞台とみなすということは、劇場空間が、劇場外部の空港やレストランにまで拡張され、そこで人々が自分の人生を俳優・女優として演じることで新世界を創造していくということですが、そういった新世界の創造に資するファッションは、時代遅れとなったファッションショーではなく、映画産業と提携したスペクタクルを通じて実現されるということです。
2 W.アルビーニを参照
今日でもミラノのスタイリストは、1941年生まれのW.アルビーニに対して称賛・尊敬の念を抱いていますが、それは彼が、G.F.フェレ同様に高級仕立衣服と既製服の双方に通じながらも、スタイリストとファッションモデルの一人二役をこなしつつ-これはアルマーニの為し得なかったことです-、アルタ・モーダの映画スターに代わる新たな時代のスターがスタイリストであることを力強く宣言したからです。服飾芸術と公衆との間を仲介するスタイリストは、公衆の良き趣味を導くという意味で現代社会における新たな芸術家であることを彼は理解していました。
スタイリストを新たな時代のスターとするアルビーニは、若干のノスタルジーに彩られた、「装うことはちょっとした旅に出ること(Vestire è un po’ partire)」ということをテーマにした1976年の展示会で、友人の18名の写真家が撮影したファッションモデルとしての自分を展示しました(図1)。
写真家のLibsが焦点を当てているのは、カメラを含む旅行小物であり(図1左上)、A.Castaldiが撮ったのは、息が詰まりそうな郊外の不安です(図1右上)。他方、1938年のシュルレアリスム国際展でシュルレアリストらが1人ずつマネキン人形を担当し、思い思いの衣裳を着せたことにちなみ、Broadbentは、服を纏うことがナルシシズムであることを訴えました(図1左下)。そして、Orsiは、優雅さが時を超えた旅路のようなものであることを、寒い高地用に燻した眼鏡をかけ、コクトー風の神秘的なオートバイレーサーの姿によって具現化しました(図1右下)。そのほか、Balloは、旅行者が古い家具に愛着を感じつつもそれを断ち切る様子を、Corradiは、クローゼットに閉じ込められた旅行者が、壁を通じてどうにか逃げ出す様子を撮りました。Barbieriは、超現実主義者にウィンクしつつ、旅行者を断片化し、他方Murasは、デザイン画を撮ることでドキュメンタリー作家が天職であること訴え、Gianbarberisは、プルーストとゴッツァーノの間で後光が差した黄昏派の詩人としての旅行者を撮りました。P.Castadiは解体と区別を、Ummarinoは、ノートを背景にして会計のための写真を撮りました。Sunèは、試着室に顔を出し、Burkhardtは、画架用の写真を撮り、Manchinoにとって旅行者は、イサドラ・ダンカンの伴奏者でした。Bellotiは、舞台でスポットライトを浴びる旅行者を、Concariは、ポラロイドを通じて写真を否定し、Ceganiは、観客全員が自らを旅行者だと認識し、鏡の遊戯に興ずる様子を撮ったのでした。さらに、Carraは、旅行者が自分の服から逃れ、記念品として旅行カードを残すことを撮りました。
このようにアルビーニは、アルタ・モーダが1968年末に危機を迎えたことを踏まえ、ローマとは異なるスペクタクル世界を創ろうとしたのであり、それは、都市をインテリアとして捉えつつ、家具と衣装のデザインをセットで考えるアール・ヌーボー(リバティ/ユーゲント)文化に基づき、様々な役割をその都度演じるために装うような旅路としの人生を上演するものでした―そういった新たなスペクタクルを体現する、自分のイメージを自ら創って雑誌社に売り込みました。
3 建築の観点から衣服のかたちへ介入(G.F.フェレ)
単なるヌードの状態にエロスは宿らず、なまめかしさは、服を脱いだり着たりするプロセス(移行)にあり、この点について美学者のM。ペルニオーラは、2種類のバロックの官能性(エロス)を指摘しています―これはイタリアのデザインが官能的であることの説明です。(1)その第1の官能性は、服(ヴェール)を着せることによってその下にある身体がエロス化されるというものであり、ここでは、身体と同じように服(ヴェール)が、第二の皮膚として活気に満ちて弾んでいるものとして考えられます。彫刻家ベルニーニの“聖テレーザの法悦”などはその例であり、服のドレープ(襞)が、存在しないテレーザのエクスタシーの身体を作り出しています。
この発想法に従ってG。フェレは、動いている身体を新たなイメージを固定すべく、(a)肩・腰・脚のラインをスケッチして身体の輪郭を決定すると同時に、(b)この身体の輪郭の基点となる部分にジュエリーを配置します(図2)。(a)の肩・腰・脚のラインのスケッチ事例が図3であり、そこでは、3次元の量塊感が太い線で示されています。建築の訓練を受けた彼は、インテリアデザインで言うところのモデリング―2次元から3次元への移行―フェーズを常に意識しています。(b)について敷衍すると、胴体(トルソー)と頭部を連結する首にはネックレスを、手首にはブレスレッドを、腰にはアクセサリーとしてベルトを配置します―そうすることで腰から下にしなやかに伸びる脚を目立たせることができます。なお、古代ギリシャにおいて女性のエロスの中心点が、臀部ではなく“腰を振ること”へと移行したことを鑑みるとベルトの重要性は明らかです―他方、男性のエロスは胴鎧(cuirass)にある。要するに、フェレのデザイン手法は、量塊感を感じさせる第二の皮膚としての身体(=服)を作るという“身体の彫刻化”の結果であるけれども、彼は、この第二の皮膚の下にある生身の身体のラインが持つ簡素な美しさが隠れてしまわないようにも注意しています―この点は、身体のラインが分からなくなる着物と対局的です。フェレは、クチュリエとしてアルタ・モーダに携わった経験が新たなファッションの構想に役立つ理由として、既製服のスタイリストの想像力が働く範囲が、アルタ・モーダのクチュリエの想像力が働く範囲よりも狭い点を挙げています。さらに、彼は、デザインにおいて服のかたちやサイズの変更を通じて、紳士服と婦人服、日中着る服と夜着る服といった垣根を取り払って、様々なラインを横断できるように工夫しているということです―これは、人生の中のある場面から別の場面へと移行した顧客が、あるラインから別のラインへの乗り換えを可能にすることに繋がります(これがフェレにとってのインクルーシブデザインの意味です)。なお、フェレが生身の身体にアクセサリーを含めた衣装を着せるのに対し、デザイナーのニッツォーリは、ミシンの“模型”に衣装を着せる試行錯誤を繰り返し、また、G。ポンティもガラスのボトルに衣装を着せることで模型をエロス化しています―これらの営みが証し立てているのは、デザインが美顔術(美容整形)ではないということですね(模型や身体表面に模様を入れたり加工することと、それらにダイナミックな仕方で衣装を着せることとは根本的に発想法が異なるのです。)。
(2)バロックの官能性のもう一つは、フレッシュ(flesh)な肉に対して陰嚢・乳首・臀部・髪といった身体部品が付いたものとして自分の生身の身体を考えるというものです(骨でさえもフレッシュな肉に仮縫いされた身体部品(衣装部品)として考えます)。ペルニオーラによると、フレッシュな肉(内部)に陰嚢・乳首といった衣装(外部)を纏っていると考えることで、客人に妻を提供する歓待にエロティシズムの本質が宿っているということです。つまり、妻は、フレッシュな肉に仮縫いされた自分の服(乳首や陰毛)を脱いで、客人の身体という他の服(陰嚢等)を纏うということであり、言い換えれば、馴染みのない客人の身体を馴染みのある自分(妻自身)の身体であるかのように纏うということです。この発想法に基づくデザインとしては、たとえばクルマのボディを女性のサイボーグ身体とみなし、クルマの開閉式ヘッドライトを女性の睫毛として考えるといった事例が挙げられます―カーデザイナーのW.デ・シルバによると、ドイツ人にとって自動車は男性であるのに対し、イタリア人にとっては(ダヌンツィオ風の)女性であるということです。
4 美術・文学史を参照
刺繍職人をアーティストと変わらないものとして捉えつつ、“絵画としての衣服(Vestiti come quadri)”というコンセプトに基づき、一点モノの子供服を制作しているのがE.パルケッティ(Palchetti)が始めたDimani Domaniというブランドです(図4)。アーティストとして捉えられた刺繍職人が、魂を欠いた工業製品を拒否しつつ、その手技を最大限に発揮することで一点モノの衣装を創ることは、一方でコピー防止、他方で市場性を欠くという両刃の剣であると言えます。コピー防止という点では、ローマの高級仕立服のアトリエが、デザイン原画通りに仕立てず、バリエーションに富んだ衣装を創ったことと軌を一にしています。彼女のファッションショーは、ファッションと詩情とが邂逅し、お祭りの時の田園詩の雰囲気を纏って聖歌隊が詠唱する中で催されました。
5 終わりに
これまでの内容をまとめたのが以下の図5です。
①のラインは、ローマのアルタ・モーダの伝統を受け継いだ、映画と協業したスペクタクルとしてのファッションであり、他方②のラインは、スタイリスト兼ファッションモデルとしてローマのアルタ・モーダとは別のスペクタクルを構想したW。アルビーニのラインです。③は、建築の素養に基づき、2次元のスケッチから3次元の衣服のかたち(量塊としてのかたち)を構想するフェレのラインであり、最後の④は、絵画としての衣服という観点に基づいたDimani Domaniのラインです。①~④のいずれも、イタリアが誇る仕立職人(サルト)の技に基づいており、たとえば縫製職人のネットワークを活用して、ポイント刺繍を入れるなり、あるいはまたスケッチ原画通りに仕上げないような縫製作業の価値が認められれば、ファストファッションよりも遥かに様々なバリエーションを持ったオンリーワンの要素を備えたファッションが可能となるでしょう―それにより、一回着ても飽きないような愛着を持つことができるでしょう。
画像出典:
冒頭図:筆者作成、図1:https://www.walteralbini.org/portfolio/collezione-uomo-wa-ai-76-77-vestire-e-un-po-partire、図2及び図3:Bianchino and Quintavalle(1989),Moda dalla fiaba al design,De Agostini,p.230,237、図4:https://newsfood.com/firenze-vestiti-come-quadri-il-concept-di-elena-palchetti-per-il-suo-dimani-domani/
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