現代アートや現代写真で得られる「脳のご褒美」は永遠に続くか
※2023.08.28:最後に追記しました
こんばんは、小山ひときです。
今夜はふと、疑問に思ったことを残します。
どんな未来であれ私の行うことは変わらないと思いますが、なんやかんやと頭の中で浮かんだ疑問です。
今夜の疑問
現代アートや現代写真は
今までの概念を壊してこれって一体なんなんだろう?と今までの意識から引き剥がすことで、そのもの自体や画面自体、写真自体から拡張した体験を提供するものだという認識でいるのですが
デュシャン(トイレの便器にサインをしてさぁ!アートですぞ?と打ち出してそれまでの美術の歴史に革命を起こした人)以降それが繰り返されてきて
もう結構「あー概念から解き放つ系ね☺️」
と理解されてきているような気がするのは気のせいでしょうか?それは鑑賞する側の、受け手側の知識や読み込みの深度が大きく関わっているとは思うのですが。
特に近年、長い文章が読めなくなっている方が増えたり理解ができない(読解力がついてこない)方が多いと話題になっていたりもするので、私もまたその理解ができない人間なのかもしれないのですけれど。無知を恥じずに感じたことを残してみます。
まだ既成概念はたくさんあるけれど
それを打ち壊す、画面の外に連れ出す体験を繰り返していったときに、概念を変えられるという体験に人間は慣れたりしないのかな?
新しい「脳のご褒美」は続く?
新しいものを欲するのが人間の脳のご褒美らしくて、
だからみんなTwitterや SNSから離れられないのだと
何かで読んだことがあります。
新しい脳のご褒美
脳がそれに慣れたら、もうご褒美ではなくなる?
なんというか、同じものから得られる体験は
いつも同じではなくその時の状況や思考や光や音でアップデートされていくとは思うのですが、それは既成概念をぶち壊さないとできないことなのかな?というのが私の疑問です。
例えばですが、音楽のことは疎いのでうまい例えができないかもなのですが
ノイズミュージックなど、これまでの音の体験やクラッシックピアノの体験と異なる(異なるように私には聞こえます)ところまで体験を待っていかないと、「現代アート」「現代写真」なるものは脳のご褒美であり続けられないのだろうか?ということです。
そうでなくても新たな体験やアップデートはできるのに、極端に振り切る体験をいつまで「新しい」「概念を覆す」と言えるんだろう?
アートとARTは違うもの
クリエイションと美学は異なる。
アートとARTは違うものだよ、というのを最近教えていただく機会がありました。
アート:幅広い意味のクリエイションのこと。日本でできた造語。
ART:西洋美術の歴史に連なる、学問としての美術の事。
アート(クリエイション全般)とART(西洋美術の歴史に連なる、学問としての美術の事)は異なるそうです。またARTにはそういった意味での「価値」が必要となるとのことでした。だから新しいものが求められるのだと思います。
今回の疑問はアートなのかART(学問)なのかで片付く話なのかな?…かもしれない。アートとARTの話がごっちゃになって論点がズレるから結論に疑問が残るんだろうか。
今後の「現代アート」や「現代写真」それがどんな未来でも
私は自分の見たい物を作るだけなのだけど
少し気になった夜でした。
時代は繰り返すのかも
そうこうして概念から解き放つことを繰り返してぐるぐる回っているうちに”美しい”をかたちにすること、感覚ではかる体験、意識を画面の外に連れ出さなくてもそれこそ平面の内側に入りこむ形で自分の内側に旅するような体験が求められるところに戻ってきたりはしないのかな。
例えば日本画の鑑賞の方法のひとつであるように「絵の中に描かれた鳥の視点になって自分が現実とは異なる体験」を得ることのように。
概念を大きく壊して新しくすることは全部、本当にART(学問の美術)の仕事なのかな。
概念を壊さなくても豊かな内側に戻る体験を求めるところに戻ってきたりするのかもしれないと思う夜でした。
美学の中に「現代アート」「現代写真」がいるなら、いやー論点違うからこの話にゴールはないね!で片付くんだろうか。いやー我々、学問の話をしてるんでね!でいいのかな?
美術史の中で、概念を壊して新しい世界を生み出していくという立ち位置が「現代○○」なら脳のご褒美云々は関係がない?
でも実際に人間は脳のご褒美を求めているように思います。だからそれに近づく体験に価値を見出しているのではないか。
みなさんは、どう思いますか?
私は無知を恥じずに「先生わかりません!」と
大きな声で疑問を残したい。疑問は思考の種だから。
今回わかったこと
いろんな考え方や学問があると思いますが
私にとっては「新しい体験」より
「個人的な体験の深化」に興味があるということに気が付きました。
個人の内側には宇宙があると思っています。
内側の小さなものや小さな声を見つめることで、広く大きなところにつながっていく気がする。細胞を見るとき、海を見ているのと同じ気持ちになるようにです。
あなたはどんな事に興味がわきますか?
是非noteにしていただきたいです。読んでみたいから。
2023.08.28追記
このnoteに書いた疑問ですが、今週読んだ本で、私の中ですべて解決がついたような気がしています。本は大事。知恵の束ですね。渡部さん、素晴らしい本を書いてくださりありがとうございます。
「じゃない写真」
初版発行: 2020年 著者: 渡部さとる
2023.08.28追記
スキやコメント、うれしく拝見させていただいてます。サポートは、フィルム現像代や作品に使用させていたり、心のMP回復のため珈琲タイムのお菓子になったりします。