ダセェよ、本音を見せないのは。
「ダセェよ。本音を見せないのは」
どん底時代の僕ははっきり言って、ずっと建前で生きていた。
思っていないことを次から次へといっていた。
高校時代の文化祭の出し物を決めるとき、多数決が怖かった。少数派のに入ってしまったら「どっち?」と意見を求められてしまうからだ。必死に、周りをキョロキョロして、多数派に手を上げていた。
休み時間に、Aさんに「文化祭、肝試しがいいよね?」と聞かれ、「そうだよね」と答えていた。
その横のBさんが僕に「劇の方が良くない?」と言って僕は「劇だよね」と答えていた。
ーーー「どっちだよ」
そう言われてしまったが、僕の本音はそこにはなかった。正直どっちでもいい。嫌われなければ。
今だから正直に告白する。
僕は自分の意見をいうことで、嫌われることを恐れていたんだ。
それ以外にも同じように、周りの意見に賛同する"のみ"だった。
気づいたら、僕の周りに人がいなくなっていたんだ。
きっとみんな気づいていたんだろう。
「あ。古山。本音じゃないな。周りに合わせているな」って。
僕もつい最近友達で、本音じゃなくて建前全開で話している人がいた。
話していて、気持ち悪すぎて吐き気がした。
案外周りはわかってしまうんだ、あなたが心を閉ざしていることを。
つらいなら、つらいっていいな。
わからないなら、わからないっていいな。
無理なら、無理っていいな。
つらい顔をして「余裕です」と言われても、違和感しかない。
僕はもっともっと"わがまま"で生きることにした。
周りになんか合わせない。
むしろ僕に合わせたくなるような魅力的な自分になると決めた。
傷つくことを避けるな。
傷ついてしまえ。
傷ついて泣けば、わかることもある。
傷つくことを回避して、ケロッとしているフリは、相手にはバレている。
猫のように腹を見せて、生きようぜ。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?