人の数だけ歴史がある。
「えぇ、そんなことがあったんですね」
普段、クライアントからの相談を聞いていると僕が感じていることだ。
僕は当然ながら、僕の人生しか生きてはない。毎日のように本を読んでいるたびに「壮絶な経験をしているな」と思うこともあるが、これは本を書いている人だけが味わっているわけではない。
「人の数だけ、いろいろな人生がある」
僕はそう思っている。
それくらい日々、様々な相談で、ひとの人生を見させてもらっているのだ。
ある人は、元芸能人で…
ある人は、海外へバックパッカーで放浪経験…
ある人は、0日婚。
ある人は……
ここには書けないくらい、むしろペラペラと話したいレベルの出来事があるわけだ。
(もちろん言わないので安心してほしい)
だからこそ、僕はこう思う。
「関わる人には、敬意をもって接すること」
誰がすごい、すごくないってことはない。上とか下とかではないと思う。
そうではなく、誰しも壮絶な人生の歴史があるわけだ。だからこそ、その人には、敬意を払う。それが人としての関わり方なのではないだろうか。
先ほど、本を読んでいた作家さんは、20代でパチスロでご飯を食べていたようだ。現実の友人で1人だけその生き方に近い人がいるが、僕にはまったくもって想像すらつかない。
世界を2つわけてみる。
僕と僕以外。
周りの人生がすごいと思うということは、周りからしたら僕の人生もすごいと思われている。
「私なんてそんなすごい人生を生きていません」
そう思う気持ちも理解できる。ただ、みんなそう思っている。僕もそう思うときもある。
ただそんなことなんてない。卑屈になる必要なんてない。
あなたの人生は、間違えなく価値が高すぎる。
聞いていて、いつも驚かされる。すごすぎる。
いやぁ…よくそんなことできましたね。
乗り越えているのにすごすぎます…
こんなことばかりだ。
あなたには価値がある。ありすぎる。だからこそ、もっと胸を張って生きていい。もっと堂々と生きたいように生きていい。
誰かに合わせようなんて思わなくていいんだ。
上も下もない。誰も価値が高い人生を生きている。
そう思うと、
話に「敬意」が混ざっていく。
誰しも、敬意がある会話が好きなのだ。
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