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写経を通じて気づいたのは、「成長の切符」は、独学を捨て、お手本を用意することだ。
嫌になる。まっすぐの線が曲がり、墨で字がにじむ。自分で書いた"字"を直視していると、自分が嫌いになる。こんな簡単なこともできないのかと。
漢字の「一」を書く。簡単なはずなのに、歪む。あーもう、逃げ出したいくらい嫌になる。ただ、途中で逃げることができない。なぜなら、それは、写経であり、修行だからだ。
僕は生まれてはじめて、成田山新勝寺に写経をしにきた。「自分と向き合うこと」を仕事にしている僕にとって、写経はその自分と向き合う一部だった。それもあり、経験しにきたのだ。
写経は何をするのか。
シンプルに、うっすら下書かれている「般若心経」を筆でなぞり書きをする。
ただそれだけだ。
何も難しいことではないはずだった。だったんだ……。
「よし、やってみよう」と思って、1文字を書いた瞬間、こう思った。
「なぞるのってこんなに難しいのか……」
そうなのだ。書かれていることをなぞる"だけ"なのに、それが難しいのだ。
集中をして、次の文字を書く。
また、書けない。力んでしまう。呼吸を整え、なぞる。また、字が崩れる。
あっという間の90分。
スタートする前は、30分程度で終わると思っていた。
この90分、ずっとあることを考えていた。
それは、"真似をする大切さ"だ。
下書きされているのをなぞるだけなのに、まったくできない。
最後まで到達して、納得した漢字は、一文字たりともないのだ。たった一文字もないのが現実なのである。
般若心経の中に、僕の名前である「有」があったのだが、31年生きてきて何度も書いてきた漢字なのに、納得できなかった。
つまり、それほど、真似をすることは難しいのだ。
何を教えてもらうときに、そのお手本を真似をすることがあるだろう。
少し見て、やってみたところで、……
ハッキリ言って全くできていないのだ。
大切なことなので、もう1度書く。
お手本を見て、真似してやってみたところで、何一つできていないのだ。
仮に、真似をして、できていると思ったら、それは勘違いだ。できていると思うのは、傲慢とも言える。
恥ずかしいほど似ていないだろう。そのくらいで思っておく謙虚さを持ち合わせておくことだ。
いや、せいぜいできていると思っているのは、本人だけなのだ。
おそろしいことに、周りで見ている人は、指摘すらしてくれない。
写経の最後は、「願意」と「写経願主」を書く。
願い事と自分の名前を書くのだが、この部分は、なぞるのではなく、自分で書く。
……すべてを台無しにするほどの、字の下手さ。大きさも形も、何もかもいいところがない。チャンスで見逃し三振して、引きずってエラーをした時のようだ。
下書きがない状態は、ここまでひどい。
今までは、下手は下手でも、下書きがあった。下書きのおかげで、下手が下手でも、まだマシの下手さだった。
それが、下書きがなくなったら、書いた紙を破り捨てたいくらいの下手さなのだ。
そこで思ったのだ。
「学ぼうと思ったときに、独学で勉強するのは危険だ」と。
何かを学ぶときに、僕は独学で勉強をしていた。
独学で勉強したものは、気づいたらふと忘れていて、継続なんてできた試しがなかった。
独学で勉強したものに、学べている実感も、成長している実感もなかった。
指標がないので、自分がうまくいっているか、うまくいっていないかも把握できないのだ。
しかし、今回の写経のように、お手本があればどうだろうか。
書籍やセミナーを受けながら、学ぶと、何がどのくらいズレているかがわかるのだ。
写経は、下書きをなぞるだけなのに、結構ズレる。面白いくらいにずれる。情けないほど、恥ずかしいほどズレる。
本やセミナーなどのお手本があっても、ズレるだろう。面白いほど、恥ずかしいほどズレるだろう。
ただ、お手本があるだけ、完全独学よりは、ズレ幅は少ない。
ということは、自分が成長することを考えると、お手本は絶対に必要なのだ。
真似がない、まったくなにもないところから、なにかを生み出すのは難しい。あなたが思っているより、100倍難しいのだ。
成長するには、お手本を用意することだ。
独学はやめよう。せめて、書籍を用意する、話はそこからからもしれない。
お手本を用意したら、実際に行動をしてみる。
それで、できていると思ったら、論外すぎる。周りから「うまい」「でき絵いるね」と言われたとしても、それを鵜呑みにすることなく、恥ずかしいほどできていないくらい謙虚に思うことなのだ。
写経は修行だ。遊びではない。ただ、答えをうつす夏休みの宿題ではない。
修行に挑戦し向き合ったことで、僕は成長に必要なピースをゲットできた。
自分と向き合い続けていると、大切なものに気づけるのかもしれない。
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