写経から、潜在意識と繋がるには自分と向き合うこと、そしてその条件は静寂だと気づかれた。
コスパをやめる。タイパをやめる。自分との約束をした。いや、約束せずにはいられなかった。
昨日の記事に引き続き、成田山新勝寺にいき、写経修行をしたときの気づきを書こうと思う。
字を書き写していると、もう1人の自分がこんなおしゃべりを始める。
「こんなのやっても意味あるんか」
「後ろの人、ずっと電話がなっているな」
「もっと雑に書いてもいいんじゃないか」
「またお腹鳴ったぞ」
「お昼ご飯は何を食べようか」
ここまでかというように、雑念が僕に語りかけるのだ。僕たちは、自分が思っているよりも、普段、自分と対話をしているのかもしれない。
そんなつもりがなかったとしても。
今まで読んできた「成功哲学」の書籍の中で、「顕在意識」と「潜在意識」があることを学んできた。
簡単にいうと、見えている部分が顕在意識、見えていない部分が潜在意識。
著者、書籍によって異なるが、僕たちは顕在意識の約5〜10パーセントしか使えていないというのだ。残りの90〜95パーセントは、まだ使われていない。可能性は無限大に広がっている、とよく書かれている。
それくらい僕たちは、潜在意識に、知らず知らずのうちに、影響を受けているのだ。考えていることは氷山の一角である。
つまり、この雑念の多さには、日常では気づきづらいのだ。
いや、ほとんどが気づけていない、と言っていいだろう。
考えてはいるけど、90パーセントは潜在意識、奥底に眠っている。
考えているのに、影響を受けているのに、「考えている、影響を受けている」とは、自覚できないのだ。怖い。恐怖。
この雑念は、日常では気づきづらい。
しかし、唯一気づく機会があるとしたら、「自分と向き合う時間を確保する」こと。それしかない。
しかし、自分と向き合う時間というのも、ただ「はい、時間を確保しました」では向き合えるはずがない。
では、どうすればいいだろうか。
写経で気づかされたのは、雑念に気づく条件は、"静寂"である。
静寂のイメージは、静かで中断がないことだ。
何もない自然音だけが耳から飛び込んでくる。誰かと繋がるSNSのことすらも頭の中にはない。令和の時代を生きているはずなのに、いま何時代に生きているかもわからなくなる。
いま、ここに、意識が向いている。
この条件を満たして、出てくる内に隠れている、"潜在意識ちゃん"と繋がることができるのだ。
今の時代は、NetflixもYouTubeも倍速にしてしまう。
倍速が常の時代。
つまり、倍速時代だ。
自分と向き合うことは、倍速時代と別れを告げること。
コスパ、タイパを考えているようでは、論外。
潜在意識ちゃんは、「しめしめ」と勝手に僕たちの思考を悪い方に、ネガティブな方にコントロールしていく。
いま、ここに集中する。よく聞く言葉だ。
この言葉の意味を、ほんの少しだけ腹落ちすることができた。
日常に戻ると、ついつい倍速で生きてしまう。
だからこそ、瞑想、ヨガ、ノートに書き出すなどを必ず日常に取り入れ、自分と向き合う時間を確保していこうと思った。
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