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『孤立の社会学: 無縁社会の処方箋』に見るNスぺ報道の功罪

社会的排除には連続性があります。
労働からの排除→人間関係からの排除→地域や医療からの排除というように、一つの石につまずくと坂道を転がり落ちるように、「底辺」まっしぐらです。社会参加が難しくなって、孤立します。

派遣とか請負とかの不安定雇用で働くと、「正規の」労働市場からは締め出されてしまいます。この市場は今や参入障壁がおそろしく高くて、新卒でもぐりこまないと、その後はなかなか入れてもらえません。すると、以後の人生であらゆる局面がハードモードになるんです。孤立もするし、まともに社会保障も受けられないし、収入が低いから家族も友人も持てなくて、詰む。個人の努力だけではどうしようもないんですよ。

だからみんな必死で学歴をつけ、就活をして、少しでも安定していそうな会社に新卒で入ろうとするのだけど、取りこぼされる人は必ず出てくる。彼らをどうするかが今後の大きな課題なんだよね。

こういった人たちが社会から排除されている状況を、NHKスペシャル「無縁社会」では “無縁” という言葉で表して大きな反響を呼びました。本書ではこれを「巧妙な移し替え」と批判しています。つまり、社会問題としての排除ととらえるのではなくて、人間関係上の個人的な問題に矮小化することで、責任の所在をあいまいにしてしまった。

こうして社会保障の不備は棚上げされ、自己責任論が横行します。その結果、かえって「無縁死」が増えるというパラドクスが生じかねない。社会的孤立としての「ひきこもり」と同様に、社会的排除としての「無縁」という言葉も、人々の耳目を集めるにはわかりやすく、感情に訴えかけるものですが、その反面、問題の本質を見えにくくする。

※テレビによる世論の誘導は強力で、今や「無縁社会はいかん、孤独死は怖い」という考え方が一般的みたいだけど、なんか洗脳されてないか?と最近では思う。そのへんのことは別記事で書いてみようと思います。

孤立の定義を「人間関係がない状態」ではなく、「頼りにする相手がいない状態」としているのは、すぐれた洞察だと思う。孤立している人はまさにこの点に悩み、不安に駆られるのです。私的な人間関係すら自由市場化している時代だからこそ、恣意的な関係にもとづく共助ではなく公助が必要です。他者を引き付ける資源に乏しい人はサポートが得にくく、孤立してしまう。たとえ家族がいたとしても頼りになるとは限らないのが、難しいところ。

男性が孤立しやすい理由についても触れられています。女性はサポート資源を分散させるのに対して、男性は配偶者に依存しているからだとか。配偶者がいない人はどうすればいいんだ?というのが、いわゆる弱者男性問題に繋がってくる。

人間関係のありようが分散型と集中型に分かれていて、どちらがいい悪いの問題ではないけれど、社会的孤立という点では集中型の方が不利ですね。ジェンダー平等といったって、男女の違いはあるし、無視しちゃいけないと思う。


【追記】2011年に放送されたNHKスペシャル「無縁社会」では、出演者から「演出への違和感」が指摘されています。

ご本人は「ネット縁」を前向きにとらえて出演OKしたのに、「無縁だからネットに逃げ込んでるかわいそうな人」みたいに放送されたとか。事実無根のナレーションもあったらしい。ネガティブな方にもっていこうとする印象操作ですね。ほとんど虚偽・捏造の域だと思う。悪質です。


【参考】社会的孤立や「ひきこもり」については、上のマガジンをどうぞ。ひきこもりと人権、支援団体とメディアの共犯関係、氷河期・ロスジェネ世代の悲劇など、キレイごと抜きで孤立の問題について書いています。


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