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昼ごはん探しの旅in京都

 昼飯を外で食べるという、ただそれだけのことが当たり前でなくなったコロナ禍です。どうせなら惰性でただなんとなく「牛丼でええか〜」という店の選び方はしたくない。同じ牛丼を食べるにしてもちゃんと意思をもって牛丼を食いたいと考えるようになった。

 そんなことを考えるようになっただけでお昼に簡単に店に入ることができなくなった。その日の気分、値段、体調など様々な要素を満たしてゴーサインが出るお店は意外と少ない。オレは昼飯を探す旅に出た。なんとなく四条烏丸を南下したのは東本願寺の近くに美味しい茶そばの店があるからだ。今日はお出汁の香るお店で質量ともに優しいお蕎麦が食べたい。しかし、そのお店は先輩と今度一緒に行きましょうと話していたお店なので楽しみはその日までとっておくことにした。そのお店は不定休なのでお店のおばちゃんに次の休みがいつなのかを問い合わせて今度は西へ歩を進めた。

 西本願寺にぶち当たり、北へ折れるか南へ曲がるか考えた末、昔住んでいた西大路九条界隈を歩いてみようと思い至る。島原の商店街にもお出汁の香る食堂があったが西大路九条へ行こうと決めた決意がまだ新鮮だったので選択肢に入るまでもなく通り過ぎた。梅小路京都西駅を横切り、高架を越え、御前通りの背の低いトンネルをくぐり抜けるとかつてのオレの生活圏になる。ここに住んでいたのはもう15年ほど前だ。住んでいた頃とは空気が違う。どこかよそよそしい。若かったオレはこの空気に溶け込んでいた。

 空気に余所者扱いされたオレはここでお腹を満たす気が失せた。もっと歩きたいと思った。そうだ、観光地へ行こう。観光地の空気は誰も拒まない。少し遠いが目的地を嵐山に定めた。いちばん近くの観光地が嵐山だった。八条通りを北へ上がると袋小路に迷いこんだが引き返すのは癪だったのでとにかく北へ向かった。アパート端の泥道を抜けると大通りに出た。八条通りの北の大通りなので七条通りなのだろうと思っていたらそれは南北の葛野大路通りであり、やがて八条通りと交差した。北へ向かっていたつもりが西へ向かっていた。北を西と認識したとき世界が補正された。あの補正される瞬間のピントの合った快感があるから方向音痴はやめられない。

 葛野大路を北上し大通りと交差して西へ、その先の南北の大通りと交差して北へ、ジグザグで嵐山へ向かう途中、梅津段町あたりの美味いラーメン屋のことを思い出したので嵐山へ向かう前にそこで腹拵えをしようと決めたのだが、その店を見つける前に目の前に現れたうどんとそばと丼のお店の佇まいが堪らなかった。既に二万歩は歩いていた足も限界だった。誘惑されるまま店に入った。450円のきつねうどんと200円の出汁巻きにやられてしまった。今日のオレのガンダーラは嵐山ではなくこの店だったんだ。自分を信じたからこそ巡り合えた。信じる力をこれからも信じて生きようと思った。

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