送り火と想像力
8月16日は「京都五山送り火」。
「五山の送り火」とか単に「送り火」とか言ったりしますが、ラジオでいざ取り上げるとなると、やっぱり「京都五山送り火」と言っておかないといけません。
でも「京都五山送り火」って、すごく「文字媒体用」のタイトルなんですよね。雑誌とか新聞とか、あるいはネットの記事とかで目にする分には違和感が無いのですが、一度これを声に出して読んでみてください。どこで区切るかによって随分聞こえ方が変わるんです。
「京都・五山送り火」「京都五山・送り火」「京都・五山・送り火」あるいは、ふざけようと思えば「京・都五山送り火」「京都五・山送り火」「京都五山送り・火」などと言うこともできますが、果たしてどれが正解なのか?私の予想では、主催する人たちさえ、ちゃんとした正解は持っていないんじゃないかと思います。もともと「正式名称」なんて無いなかで伝統行事としていつの間にか定着していった行事であり、それは起源が明らかでないことからも明らかです。(ややこしい言い方になってしまった)
それが思いのほか、自分たちの手におさまらないくらいに大きな行事になってしまい、(まさに大文字といえる)そうなると、誰かが正式に仕切る必要が出てき、「ちゃんとした呼称」があるほうが何かとやりやすいため、後付けで正式名称が生まれたんじゃないだろうか。だいたい最初っから正式名称があったのだとしたら、取ってつけたように頭に「京都」なんて付けるはずがありません。故に、京都の人がわざわざ正式名称で「京都五山送り火」と言うのがちょっと滑稽だったりするし、どういうアクセントで「京都五山送り火」と言うかに明確な正解も無いのだと思います。
ところで去年の送り火は、コロナ対策で密を避けるため、点火場所をかなり限定し、「大文字」の「大」は火が6箇所しか灯されず、「あとは想像してください」というものだったのですが、これについてテレビで解説の方が「点火の数はこれで十分ですね」と話しておられ、おそらく点火できない現状をなんとかポジティブに捉えたいという思いから出た言葉なんだと思うのですが、いやいや、それを言ってしまうと、例年、皆さんがやって来たことを全否定することになってしまいますよ、、、とびっくりしたのを覚えています。そうかと思うと実際私の周りにも「送り火なんて、あれで十分やろ」と平然とおっしゃる方もいて、正直なところ、こういう人間がいるから、平時に必要ないため病床数が削られたりし、いざ非常時という時に慌てふためかねばならなくなるのだろうと思いました。
「あれで十分やろ」とは、つまり、6箇所の点火で十分、大の字が想像できるやろうということだと思いますが、もっと想像力を働かせれば、決してそんなことは言えないだろうと思うのです。
しかし案外、ずっと毎年毎年、点火のことをしんどいと思っていた地域の若い衆はこれを機会にもう来年からもずっと点火6箇所でよくなくない?よくないこれ?よくなくなくなくセイイエー!とか言ってたりするのかもしれないという、つまらない想像力しか無いのが私です。
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