エッセイ『思い入れの押しつけ』
誰のというのは伏せておくんやが先日ラジオであるミュージシャンの訃報に触れていてその人の曲をかけながらご冥福をお祈りします的コメントをDJの人が読んでたんやけど全く心がこもってなくて、じゃあ、なんで読んだんや!といえば、おそらくディレクターの思い入れが強いがためにそれをDJさんに読ませたんやと思うんやが、オレは逆に思い入れが強いのであればあんなことをするべきではないやろうと思ってしまった。ニュース番組ならむしろそれは当然なんやがそうではない番組で「読まされてる」感じやったのがすこぶる腹が立ったわけです。オレがディレクターの立場であったなら、あんな心のこもってない読み方をされるのはすごくいやだ。思い入れが強ければ強いほどいやだ。本当にいやだ。オレはそれほどそのミュージシャンについて何か思いがあるというわけではないんやが、そんなオレでさえディレクターがかわいそうになった。むしろ、ディレクターにそれほど思い入れが無かったことを望む。なんかしらんけど往年の有名なミュージシャンが亡くならはったんで、いや、ほんとに僕もよく知らないんですけど世間的にもそれなりに話題になってたりするんで、曲をかけるんでその曲に乗って訃報を伝えてもらえますかねー。いや、全然全然、むしろ訃報なんで淡々と読んでもらうほうがいいんですー程度のことならば別に構わんっちゃあ構わんのやが、そうではなくて仮にディレクターにめちゃくちゃ思い入れがあってDJさんがいまいちピンと来てないけど読ませた、というのであれば、それはよくない傾向であるなーと思ったわけで、なんでそれを思い出したかといえば、今、オレは世界で一番大好きなミュージシャンのライブ映像をYouTubeで見たわけ。そのミュージシャンはオレが生まれる一年前にデビューしてるので、寿命でいえばオレより先に逝ってしまう可能性がすこぶる高いということを映像見ながらなんとなく考えてしまい、なぜそれを考えたかといえば、先程から書いている全く思い入れのないDJさんの訃報コメントを思い出したからであり、両者は互いに意識しあっていたわけなんやが、もしもオレが生放送でオレの大好きなあの人の訃報を扱うのであれば、もしもDJさんがあんまりその人に思い入れが無いのであれば伝えさせないと思う。それがオレなりの思い入れの答えやと思う。思い入れが強ければ強いほど正直なところ、そのすごさをオレ並みにさえ知らない人間に伝えさせるという行為がオレは受け入れられないと思う。が、しかし、ニュースとして扱うのであれば、淡々と訃報を伝えることは正解といえるかもしれない。しかし、オレはあのミュージシャンに対して強い強い思い入れを抱いているミュージシャンを何人も知っているがゆえに、おまえ絶対になんにも知らんやろ、というDJさんが訃報をただただ、それこそ「岸田総理大臣は任命責任を重く受け止めているということです」と伝えるのとさして変わらないトーンで伝えていたものですから、なんにも知らないならそんな訃報をわざわざ伝えてくれるな、と思った次第であるんやが、なんというか、今回の一件、ディレクターとはどうあるべきやねん、ということを実に考えさせられる一件となった次第でございます。