エッセイ『東京思い出散歩ラーメン編』
新宿駅といえば、昔、東口を探しながら歩いていたら、「新宿駅東口」と「新宿駅西口」の案内板の矢印が同じ方向を指していたことがあり、「どないやねん」と思った記憶があります。そんなことが果たして現実的に有り得ることなのか?いやいや、十分有り得るでしょう、ということが今となればわかるんですが、初めて新宿駅に辿り着いたあの時は、ここは迷路や!不思議のラビリンスや!と嘆いたものです。
さて。
あの頃から新宿駅で用事があるのはいつも東口方面やったんですが、このたびの東京旅行(かっこつけてるみたいな気がするから「出張」って言いたくない)ではホテルが西口方面でしたので、未知の場所であります。それはつまり、コロンブスがアメリカ大陸に辿り着いたのと理屈としては同じです。私は今回、新宿駅西口方面を「発見」したのです。これをアホちゃうか、と思うのであれば、やはり、コロンブスが「新大陸を発見した」なんて言い方は滑稽なのです。
無事ホテルに到着した私は、もう夜も更けておりましたが、今回の旅の目的地の一つへと向かいました。そこは新宿駅東口方面にあります。ずっと昔、月に一回くらいのペースで東京にライブをしに来ていた頃に足繁く通ったラーメン屋さんがあるのです。伊勢丹横の明治通りを野村證券の方へ進み、靖国通りとの交差点を右折、一筋目を曲がったところにある「航海屋」というお店です。私はこの店のラーメンがめちゃくちゃ好きやったので、今回ありがたいことに東京での仕事をいただいた時から、もう一度あの店でラーメンを食べたいと思っていたにもかかわらず、店の名前は忘れていたのですが、友人が覚えていてくれたおかげで、店名で検索をして辿り着くことができました。Twitterで教えてくれたフォロワーさんもいました。実にありがたい。
店の佇まいも変わっておらず、ワインのコルク栓を開けたみたいドボドボドボドボと記憶が蘇ってきました。近くのインターネットカフェに泊まって新宿JAMでのライブ前に、いつもここでラーメンを食った。食券を買って注文するタイプの店なので、帰りにお会計をしないから、食べ終えた頃には「もう支払わなくていいんや、ラッキー!」と思っていたことなども思い出した。この程度のアホなんです。そういえば、最近ICOCAで電車に乗ることを覚えたんですが、タダで電車に乗れてる気がしているから、あの頃からずっと私はアホのままです。アホのが人生、楽しいかもしれない。
チャーシュー麺とチャーシューおこわの食券を購入。U字形のカウンターの入口から見て右奥の席に座り、店員さんに食券を渡す。冷たい水が出てくる。確か左奥がトイレだったはず。ああ、何も変わっていない。変わったことといえば、座席を仕切るアクリル板の存在くらいです。私の知らない間にここもコロナで大変だったんだね、同じ時代を生きてるんだね、と当たり前のことが感慨深い。
隣のおっさんが「すいませーん」と店員を呼ぶ。「少々お待ちくださーい」と答えてしばらくしてから店員が出てくる。「おかわり」と告げると「はいよ」と答え、店員さんはチャーシューおこわをお茶碗につぎました。「そや!おかわりできたんや!この物価高のなか、まだやってんねや!」よく見ると私の座る席の上部に「チャーシューおこわ三杯までおかわりできます」と書いてありました。感動しました。
隣のおっさんのチャーシューおこわをついだあと、私の分も出してくれ、それから5分ほどしてチャーシュー麺が出てきました。澄んだスープに蓮の花のように浮かぶチャーシューたち。麺を箸で手繰り上げれば、カンダタが他の罪人たちを蹴落としているのが見えました。待ちきれず、私はカンダタごと一気に麺を啜ってやりました。う、う、うま、うま、うま、う、う、う、、、。カンダタが喉に詰まって言葉が出ない。私は泣いてしまいました。思えば十五年以上前、志があるのかないのか、よくわかりもせず、ふらふらしながら辿り着いた新宿で、たいしてお客さんを呼ぶこともできず、それでも見に来てくれる人に今日もよかったと褒められて、ライブハウスの人にもまた来てよ〜なんて言われて悪い気はせず、その場その場を取り繕って生きていました。あれから私は就職して結婚して父になり、たいしてお給料は稼げてないけどないなりに仕事にはやり甲斐を見つけ、そのやり甲斐は比較的搾取されがちでありながら、それでも生きる喜びとなり、ストレスは創作の泉としながら、妻子にも先輩にも友人にも恵まれながら生きています。さっき麺と一緒に啜ったカンダタの野郎は、若かりし頃の私だったのかもしれない。
ホテルに着いて部屋に帰り、シャワーを浴びて鏡を見れば、見事なまでに腹が出ていました。さっき食べた十五年前の私が胃の中で嘲笑っているのが聞こえました。痩せなければいけません。
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