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春の夜風はセンチメンタル

春はあけぼの。清少納言が断言してしまったものだから、そう思ってなくても「そんなもんかね」と納得させられてしまった高校生の頃。あれから20年以上経ち、20回以上の春を経験してきて思うのは、四季を問わず、「あけぼの」が良いか悪いか判断するほど、「あけぼの」に起床していないということと、春は夜に吹く風がセンチメンタルだということだ。

ウェザーニュースのコラムによると「あけぼの」とは「日の出前の頃」。春なら5時台から6時台にかけてくらいか。この一年は朝の番組を担当していたため、「あけぼの」を感じることもあったが、正直なところ「清少納言が良いと書いてたから、良いのだろうな」というくらいのもので何の発見もない。思いのほか寒いときがあるから、やや厚着をして出かけるのに日中えらく温度が上がり、上着が邪魔になることが多いから、春のあけぼのにはあまり良いイメージはない。

それよりも春は夜に吹く風がセンチメンタルだとさっきも書いたね。どうしてそう何回も同じことを書くのかといえば、今日、その「春の夜風のセンチメンタル」をこの春初めて感じたからなのだ。職場のある四条烏丸から自宅のある壬生への帰り道、堀川六角あたりから堀川三条へと自転車を走らせていたときに吹いた風が「ああ、なんてセンチメンタル!今年もこの風が吹いたか」と感じさせる風だった。

春の夜風の質感を体が覚えているのだ。別れがあり出会いのある春は、きっと肌もセンシティブなのではないか。アレルギー症状を引き起こしがちなのは花粉のせいだけではない気がする。高校3年の最後の春に吹いた風は、まだ故郷の滋賀県で感じていたから、おそらく今日吹いた風とは違っていたと思うが、「おまけ」のようにして思い出してしまう。「モテる」などという動詞には無縁の私だが、最後の夏には「2年の森さんという女子がどうやら僕のことを好きらしい」という噂話のただそれだけで、面識のない「2年の森さん」のことが気になってしまった。結局、2年の森さんとは一言も話すことなく卒業したのだが、春の夜風に吹かれると、2年の森さんのことも思い出してしまう。好きだと言ってくれていた人と、どうして少しくらい話さなかったのだろうか。しかし、私が春の夜風に吹かれて毎年思い出しているのだと聞けば、おそらく引いてしまうんだろうね。

大学を卒業して心機一転、鴨川沿いに引っ越しをした春のことも思い出す。立命館大学の卒業式にはオーダーメイドの白いスーツで出席した。真っ赤な薔薇の花を明訓高校の岩鬼みたいに口に咥えてカッコつけて。式では隣に音楽サークルの先輩の8回生の高倉さんがいた。一緒に卒業したのであった。大学の東門を出てすぐのところにあった峰さんというオーナーが営んでいた「マイン」という喫茶店兼定食屋のようなお店で酒を飲んだ。「マイン」は英語で「mine」でローマ字読みすると「峰」になるのだ。いまは駐輪場になってしまっている。閉店したマインのセンチメンタルまで、いまだに春の夜風は運んでくる。

鴨川沿いの「グッピーハウス」という木造のアパートに住み、春の風吹く出雲路橋の袂で後輩の佐々木くんと将棋を指した。後年、佐々木くんと結婚するトクダさんと佐々木くんとをグッピーハウスに招き、砂ズリのニンニク炒めを振舞ったが、トクダさんに「味が濃すぎる」と言われた。些細な一言だが、いまだに春の夜風に吹かれると思い出す。

出雲路橋の西詰に「黒ん坊」という名前の喫茶店があり、名前が完全にアウトなのだが、「昔ながら」という雰囲気をもつ喫茶店であったので、引っ越したての頃、私はあの喫茶店に通いつめ、「涌井はどこにいるか」と尋ねられたら「ああ、あの人なら黒ん坊にいると思いますよ」と言われるくらいの常連になってやろうと思ったのも、春の夜風に吹かれると思い出す。結局一度も黒ん坊には行かなかった。後年、ラジオの仕事の出張で舞鶴へ行ったときに、彼の地にも「黒ん坊」というお好み焼き屋を見つけた。

「センチメンタル」に引っ張られて、春じゃなかったセンチメンタルな出来事も、春の夜風がセンチメンタルなおかげで思い出してしまう。あれは夏の夜だった。女性と2人で飲みにいくことになり、私はその女性と、どういうことになってもいいようにコンドームを持っていこうと思い、部屋のなかを探しまくったのだが、とにかく散らかしていたのでなかなか見つからない。トクダさんと佐々木くんに砂ズリのニンニク炒めを振舞ったように、自炊に凝っていたこともあり、ゴキブリが多発してもいた。床にコンドームが落ちているのを確認し、急ぎでカバンの中に入れ、その女性の待つお好み焼き屋へと出かけた。

お好み焼きで一通り飲み食いし、それなりに楽しかったが、お好み焼き屋ではロマンチックになるのにも限界があるから、二軒目はムーディなバーにでも、、、いやいや、世間知らずの私にはそんな二軒目の選択肢がなかった。しかし季節は夏である。ぬるい風の吹く鴨川沿いなら、ロマンチックな展開に期待ができるのではないか。二人は鴨川沿いへと歩いた。途中、缶チューハイを一本ずつ買い、鴨川沿いのベンチに腰掛ける。すると彼女は、感極まり、数日前に振られた男の名前を叫びながら、石礫を鴨川に向かい放り投げたのだった。私はその彼女の横顔がたまらなく愛おしくなり、「キスしよう」と言った。

「あかん」
「なんであかんの?」
「そんなんしたら、涌井くん、私のこと好きになってしまうからあかん」
と言われた瞬間に、私はとにかく、欲望が剥き出しになっていたため、その言葉の裏にある「合意」の気持ちを測りきることができずに「大丈夫大丈夫!好きになんかならへんからキスさせて!」と言ってしまったのである。

そんな男にキスをさせるほど彼女はアホではなかった。一人、鴨川沿いに置いていかれた私はしばらく呆然としつつ缶チューハイを飲み干し、帰りにコンビニできつめのウイスキーを購入し、帰宅した。グッピーハウスで先ほどの「好きにならへんから」発言の反省をしつつ、ウイスキーをショットであおる。ああ、そういえば、何かあるのを期待して、コンドームをカバンに入れていたよな。苦笑いしつつ、カバンの中から、入れていたコンドームを取り出すと驚いた。それはコンドームではなく、ゴキブリ退治用のホウ酸団子であった。

春の夜風に吹かれると、もれなく夏の夜のまったくセンチメンタルではない話まで思い出してしまうのだ。今夜はそんな風が吹いた。

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